7月に入りました。何と、6月27日に徳島県を始め四国地方というか、中国、近畿、九州も含めた西日本一帯の梅雨明けが発表されました。6月の梅雨明けは観測史上最短、と言うことです。 これも、異常気象の影響か!(もちろん温暖化の影響はあるでしょうが・・)と思ったら、今までで一番早い四国地方の梅雨明けは、1964年(昭和39年)の7月1日だったそうです。昭和39年というと、新幹線が開通したことやアジアで初めての開催となった、東京オリンピックの話題はよく聞きますが、梅雨が短かったことは知りませんでした。古いことなら覚えている私も、かすかに白黒テレビで見たオリンピックの聖火は不思議に印象に残っていますが、2歳児の思い出はそれ以上はありません。ただハッキリ昔と全く違うと言えるのは、昨年よりも20日も早く梅雨が明けたからといって、秋が早まるわけではなく、体温以上の気温になる猛暑日が増加するということです。ちなみに昭和39年なんて、冷房などという言葉もイメージも、山間で育った私には無かったと思います。昨年の猛暑も、その前年のを忘れるくらい凄かったですが、あの猛暑が単純に考えて、3週間近く昨年より長期間味わえてしまう(!)訳ですよね。
こんなに早く梅雨が明けると、俳句の季語も難しくなるのでは?とか、カタツムリ(蝸牛:かぎゅう)は、大丈夫なの?あじさいを愛でるのを忘れてた!等と、教養の無さをひけらかすようなことをつい、口走ってしまう自分を反省してしまいます(今更遅い!<苦笑>)。話はいつものように変わりますが、先日、本校だけでなく、附属幼稚園、小学校、特別支援の現職とOBの集まる恒例の懇親会がありました。最高齢の先生は、90歳になられる本校の元理科の先生で、他にも80代の数学の先生、70代の美術の先生にもお越し頂きました。新しく本校に着任した先生の紹介と共に、中学校の現状などを話させてもらったのですが、毎年の事ながら、ここではOBの大先輩にお会いして話を聞く度に、私のような者が本校の舵取りをさせて頂いていることに、改めて事の重大さを実感する場となったおります。諸先輩方が現役でいるときに、教育実習生に来た自分にとっては、見る授業、学活で話す言葉、教材研究等、なにもかもが雲の上の存在に感じました。今から思えば、その当時の先生方は30代後半から40代前半だったと思います。そんな時代を遙かに通り過ぎた自分が、その頃に感じた先輩方にどれだけ近づけ、又、今の教員を引っ張っていけてるか・・・。遠い将来、「附属中学校は、平成の終わりから令和にかけての時代、2度も校長したのがいた時代に研究や地域からの信頼が停滞してなぁ」って噂されないか心配になります。でも手前味噌ですが、私を除く本校の教職員は、みんなが「子供ファースト」を忘れず、大変前向きに何事にも取り組んでくれています。私は楽をさせてもらっている分、様々なアイデアを出し、アイデアが出ないときには、汗を出す(笑)ように心がけ、日々勤めております。
いつものように話題がずれましたが、とにかく暑さ対策をしなければなりません。クーラーだけに頼るのではなく、気持ちの上でも涼風が吹くような環境を考えなくてはなりません。今、英語の講師で来てくれている先生(私は40年来のお付き合いのある大先輩です)が七夕用の笹を玄関ホールに持って来て下さいました。こんな歳になっても、表題の曲をつい口ずさんでしまいます。 https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%B0%E3%81%9F%E3%81%95%E3%81%BE%20%E6%AD%
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誰もが知っている童謡ですが、子供たちは「のきば」や「すなご」ってわかっているのでしょうか。あえて歌詞が漢字のYouTubeを探しました。幼稚園や保育園だけでなく、ショッピングモールなどにもこの時季には飾っていますよね。私は新米教員だった若い頃、1クラスの小規模校で、実家に帰って笹を切って来て、それを教室に飾り、で子供たちが短冊を吊るし、七夕が終われば、それを川へ流しに行っていました。今は環境問題で、川に流せないのは当然としても、昔はそういう点、風流を感じたものでした。♪ きんぎん すなご ♪ と言えば、夜空に輝く星は、「織り姫様と彦星様」はともかく、まだまだ解明されていないこともたくさんあって、無知な私でもロマンを感じます。本校には、県内の中学校では珍しいくらいの大型の天体ドームがあって、かつての卒業アルバムや、校誌を見てみると「天文部」があって、休日とかの夜に集まって、観測会をしていたようです。そんな天体ドームも、かつては毎年夏や秋に専門の先生をお呼びして観測会をしていたのですが、コロナ禍となり、利用することもなくなっていました。大きな天体望遠鏡やドームは、誰でもが気軽に扱えるモノではありません。そこで昨日、元本校教諭で校長職を退職後は、本学で授業を受け持ってくださっている本校OBの天体がご専門の先生にお越し頂き、天体ドームとその中の大型望遠鏡を見ていただきました。十分観測はできそう、ということでしたので、また計画を立てて、子供や保護者を呼んで、近いうちに観測会を開催したいと思います。
さて、暑さ対策というのではありませんが、6月30日より本校では保健体育科において、水泳の授業が始まりました。少し前に、地元紙で「中学校の授業で水泳の授業が激減!」という記事が出ていました。小学校ではどの学校でも実施していますが、中学校ではプールの老朽化により、修理費用が100万円以上必要な中学校のプールは修理をしない、と決めている自治体も多いようです。徳島市内では、本校以外で自校のプールで授業をしている学校は2~3校です。他の自校のプールが使えない学校は、徳島市内に2カ所ある公営のプールへ市教委がバスを出して移動し、2回程度授業をすることが可能になっていますが、最近はほとんど利用している学校はないようです。そして、県内の公立高校にいたっては、学校にあるプールが使えるのは県西部の1校だけ、とて聞いたのが3年くらい前でした。確かに1ヶ月程しか授業で使わないにしては、清掃からはじまって、水道代や消毒剤、ポンプ等のメンテナンスなど、維持費は莫大です。しかし、指導要領にも、水泳のカリキュラムは示されておりますし、よほどの状況で無い限り実施することが望ましい、と表記されています。子供たちは教員の指示にしたがって、 一生懸命に、なおかつ楽しそうに授業をうけています。そして、体調不良等で、見学する生徒は、2年前の卒業記念品で購入させてもらった大きなテントを設置した、プールサイドから一段あがった、風通しのいいところで、監視役も兼ねて、授業の様子をしっかりとメモしています。
また、暑さ対策の一つとして、3年生の水道の前にひさしのシートを取り付けました。雨対策も兼ねているのですが、今まで、ワンタッチテントを立てては、大雨の重みで壊れることが何度かあり、このようなシンプルなモノに代えてみました。これなら、雨水の重みや、風にあおられることは無いと思っているのですが・・・・。最初からこういうスタイルを考えればよかったのですが、失敗体験を生かした最近では数少ない(笑)、私のアイデアが採用された例です。もう少ししたら、ミストシャワーとか、校門通りの打ち水とか、恒例(!)の玄関ホールの手すりに付ける風車とか・・・。気分的に少しでも涼が感じられるモノを、掲示物も含めて考えていきたいと思います。
こんな話ばかりしていると、附属中学校の使命の一つである研究は?と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、そちらの方は、研究部を中心にしっかりと進めております。本校では毎年6月の最初に「中学校教育研究発表会(通称:研発)」を行ってきましたが、今年は、各教科ごとに10回(技術・家庭科を技術分野と家庭分野に分けて)実施することとし、すでに数学と、先日英語の授業研究会が終わりました。(詳しくは本HPの「本校の研究」をご参照ください)従来の研発だと、全教科を公開するので、一つの中学校から何人もの先生は参加しにくい、という意見があったのですが、1教科ずつの開催にしたことで、出張させやすい、と言ってくださった校長先生もいらっしゃいます。研究授業をしているクラス以外は平常の授業を行っています。イメージとしては、どこの学校でも行っている校内の大研を広く「公開研究授業(通称:公開研)」として、県内外へもご案内しているというスタイルです。ただし、指導助言者には、県教委の指導主事先生や大学の先生をお呼びしています。先日の英語の公開研には、信州大附属長野中学校から複数の先生、近畿圏の3附属の中学校から、また福岡市内の公立中学校の先生らが遠路お越し下さいました。そして、何より、県内の先生方が例年の研発の時以上に多数参加していただきました。そして、先に実施した数学科の公開研の反省を生かして、授業の前に、参加者の先生に授業者から、10分程度、本授業のポイント、研究テーマとの整合性、今までの授業の流れ等を「ガイダンス」という形で別会場で説明してから、授業を参観していただきました。そのため、授業内容も理解してもらえやすく、後の研究会も大変充実した時間となりました。このように、毎回の反省、振り返りが次の「公開研」に生かせる、というのもこのスタイルの良さだと思います。もちろん、理論編の説明が十分できていなかったり、学校全体としての取組が見えにくいなど、ウィークポイントもあるわけで、それらを研究部が中心になって、来年度の研発にどう生かすか、すでに模索を始めています。
いつものこのページに書かないような、本校の研究のことについて少し触れてみましたが、私の浅学ぶりが目立ってしまうのでこの辺にしておいて、いつものように昭和の楽曲で終わろうと思います(笑)。梅雨が明けてしまいましたから「夏」にちなんだ曲を、と思いましたが、夏を象徴する曲は無数にあると思います。私の世代だけでなく幅広い世代で支持されているアーティストの代表格はSAS(サザンオールスターズ:スカンジナビア航空や睡眠時無呼吸症候群の略ではありません<笑>)でしょうか?なんて言うと、若い世代からは???と言われそうですね。なんと言っても青山学院大学の学生からデビューした時、私は高校生で、青学への進学に憧れたミーハーでした。(もちろん実力的にも経済的にも無理でしたが<涙>)学生時代の同級生の女子学生の中にも熱狂的なファンが多数いました。ただ、私にとっては「夏」のイメージは、私が大学生の時にリリースされた『ロンバケ(ロング・バケイション)』です。「そー、そー、そー!!」なんて共感してくれる人は、こんな駄文読んでくれている人の中にはいませんよね(笑)。先日、本校の生徒が、授業に来てくれている私と同世代の先生に「先生、『フチュッピーの部屋』ヤバいよ。書いてること、なーんも意味わからん!」って言ったそうで、よくもまぁ、こんな文書を最後まで読んでくれたその勇気(!)に感謝します。そもそも、このページを書き始めたとき、もし生徒が読んだとしても、保護者に「こんな歌知ってるの?」と家族に聞いて、保護者の世代が子供の頃に聴いた音楽を思い出し、中学生との親子の会話が弾むといいな、と思って始めたはずだったのですが、もはや保護者の世代も知らない時代のことばかり書いてしまっていて、もう、おじいちゃん、おばあちゃんが孫との会話を楽しんでください!っていう程のレベルになってしまっていることを、心よりお詫び申し上げます(苦笑)。
『ロンバケ』に話を戻しますが、学生時代、バイト代金をオーディオとレコードに注ぎ込んでいた頃、CDと違って大きなLPはジャケットも大変素晴らしいモノが多かったです。そういう中であの『ロンバケ』のジャケットには一目惚れしたことを思い出します。そのA面の最初の曲が、「君は天然色」でした。https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%e6%80%9d%e3%81%84%e5%87%ba%e3%81%af%e3%83%a2%e3%83%8e%e3%82%af%e
3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%a0&mid=6556FCC29018A2CC89466556FCC29018A2CC8946&FORM=VIRE 歌詞の内容は、真夏のイメージではなく、作詞を担当した松本隆さんの亡き妹さんへの想いが語られていますが、♪ 思い出は モノクローム 色をつけてくれ ♪ のフレーズは、私はこの季節がくると、今でも必ず口ずさんでしまいます。
またまた、意味不明のこと(特に生徒の皆さんには)をグダグダ書いてしまいましたが、今の中学生には、誰にも想像ができない半世紀後の社会において、元気に次の世代へ今の時代を振り返り、語ってほしいなぁ、と思います。そのためにも、大阪万博は見といてね。私は55年前に見たから・・・(微笑)