フチュッピーの部屋

♪ 春なのに お別れですか 春なのに 涙がこぼれます ♪ 2025年3月7日





   3月7日、第39回卒業証書授与式を挙行いたしました。鳴門教育大学に移管されてからは、39回目となりますが、徳島大学時代からだと、通算77回目の卒業式となります。
   その前日には、「灯の儀」という、先輩から後輩へバトンを渡す、伝統行事がありました。これは昭和26年から続く「かがり火のつどい」という行事を引き継いだものです。「かがり火のつどい」は、卒業式の前日に運動場でファイヤーストームのように全校生徒が火を囲んで行っていたのですが、雨や風など天候の影響を受けやすく、中止になることもあり、そして学校周辺の住宅にも配慮をして、天候に関係なく、体育館でキャンドルを持って行える、「灯の儀」に引き継がれました。ゆらゆらと揺らぐ炎には、リラクゼーション効果もあるようで、子供たちは不規則に揺らぐ炎を見ながら、心を落ち着かせて、本校の77年の歴史と伝統に思いを寄せました。ここでは、私がつけた炎を3年生各クラスの代表に分火し、3年生が本校での思い出とともに、後輩にこれからの附属中を託す話をしてキャンドルを渡しました。それを受け取った後輩が、自分たちの学年に分火して、その炎で作った花道を3年生が退場していきます。その退場の際に、毎年在校生が選んだ曲を歌って、送り出します。今年は、SG(ソギョン)さんが歌った「僕らまた」でした。https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%e5%83%95%e3%82%89%e3%81%be%e3%81%9f+sg&&mid=598C3AA74DACF5C33050598C3AA74DACF5C33050&FORM=VAMGZCもちろん私は知りません(笑)でしたが、とてもいい曲でした。ご本人のHPから抜粋しますと、『僕自身コロナ禍で経験した別れから生まれたこの曲が、聞いてくださった方々それぞれの別れに寄り添い、そして卒業ソングとしても歌われるようになり大変光栄です。実は僕、韓国から日本に留学し、東日本大震災を経験し、一度も「卒業式」をしたことがありません。そんな僕が作った歌をたくさんの卒業式で歌っていただけているなんて、何度考えても不思議で奇跡で幸せなことです。ありがとうございます。卒業生は未来そのものです。彼らが作る未来が明るく幸せでありますように、僕はこれからも音楽を作っていきます。』と書かれていました。本校における卒業式前日の「灯の儀」では、3年生の各クラスの代表に私から炎を分火する前に、ステージ上で私から炎の灯ったキャンドルを持って挨拶をさせてもらうのですが、その時に話した内容は次の通りです。


   3年生の皆さん,いよいよ ご卒業ですね。皆さんは明日、第39回の卒業生としてこの附属中学校から、巣立ちますが、徳島大学時代から通算すると、明日は77回目の卒業式となり,1月7日の揮毫式の時にこの体育館一杯に飾られた雄名録に書かれていた、1万人以上の卒業生の仲間入りをするわけです。 揮毫式は、昭和26年から75年続く行事ですが、同じように、昭和26年から始まった行事が、この灯の儀の前身となる,かがり火の集いです。
   私は、「附中のうた」が大好きです。その2番には,♪ 夜空を焦がす かがり火の 燃ゆるゆかしき 伝統を ♪ と歌われています。今から22年前まで、卒業式の前日に運動場で、ファイヤーストームのように、かがり火の集いを行ってきました。しかし、雨や風など天候に左右されることも多く、また近隣の住宅へも配慮して、この灯の儀へと、受け継がれてきました。ここにともる炎は、雄名録同様、先輩から受け継がれてきた伝統の灯です。この不規則にゆらぐ、ろうそくの炎を見て、77年に及ぶ附属中学校の歴史や伝統を感じてください。
   3年生の皆さんは、私たちに立派な伝統の1ページを加えてくれました。特にこの1年は,4年間中断していた、新入生歓迎音楽会や文化祭でのハレルヤ合唱を見事に復活させてくれました。3年生の皆さんが、作ってくれた素晴らし伝統を、これから,2年生,1年生が引き継ぎ、附属中学校をさらに発展させてくれるものと思います。3年生の皆さんは、これから附属中学校の卒業生であることを誇りに、自分らしく、しっかりと、「知崇礼卑(ちすうれいひ)」の精神を忘れず、生きていってください。皆さんのご活躍を心から祈っています。本当に皆さんは、立派な附中生でした。   その附中生と呼ばれるものあと1日となりました。 3年生のみんな、ありがとう。

   翌日の卒業式は、前日の「灯の儀」の感動そのままに、より厳かな雰囲気で素晴らしい式典となりました。完全な終息ではないにせよ、アフターコロナとなっての卒業式は、今まで入場できなかった在校生も全員が体育館に入りました。決して広くない本校の体育館には、子供たちの表情が見えるように、ステージから2台のテレビカメラで点呼の時や、歌っている様子な、、式典中の生徒一人一人の様子をスイッチャーで切り替えながら撮影して、保護者席側に配置した4台の大型モニターテレビでも見えるようにしています。それらも場所をとるため、会場は結構手狭です。
   入場してきた3年生はとてもりりしく、先導する担任は、すでにウルッと来ているように見えました。約20分間、入学から今までの写真や動画をBGMと共に流す「思い出のアルバム」を鑑賞した後、卒業証書授与、式辞、祝辞、在校生送辞と、順調にすすみ、在校生から、送別の歌(蛍の光)、そして卒業生代表の答辞、「仰げば尊し」など,卒業生の歌声を聴いたあたりでは、万感迫るものがありました。今年、コロナ禍で長らくできなかった文化祭での3年生全員による「ハレルヤ合唱」を復活させてくれた卒業生が歌う、「校歌」や「仰げば尊し」の声量には感動しました。母校の校歌をみんなで歌う最後の機会であることを念頭に、先生方や学校への感謝の思いを歌声に乗せよう!という前日指導が生徒に響いたのか、素晴らしい歌声でした。そして、閉式の言葉で一端卒業式が終了した後、卒業記念品(文化祭や模擬県議会の時にプロの音響屋さんが使っていた、世界的に有名なアメリカ製のスピーカー:音の抜けが従来の体育館のスピーカーとは全然違い、とてもキレのある音が出ます)贈呈や保護者謝辞があったあと、卒業生が3年間の想いを込めて、東日本大震災の被災した子供たちの思いを込めて作られた「群青」https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=%e3%83%9f%e3%83%a9%e4%b8%ad%e5%90%88%e5%94%b1%e9%83%a8%e3%81%ae%e7%be%a4%e9%9d%92+(%e6%b7%b7%e5%a3%b0%e5%9b%9b%e9%83%a8%e5%90%88%e5%94%b1)+%e6%ad%8c%e8%a9%9e%e4%bb%98%e3%81%8d&&mid=BB27112663D877C40657BB27112663D877C40657&&FORM=VRDGARを3年生全員が合唱しました。歌い始まると、3年団の先生は涙、涙・・・でした。歌い終わった後は、体育館が大きな拍手で包まれました。  卒業式で私が述べました、心ばかりの式辞は次の通りです。
 

    式  辞

   寒暖の差が激しい日々の中にも、校庭のあちこちに、確かな春の足音が感じられる、今日の良き日、鳴門教育大学附属中学校第39回卒業証書授与式を挙行いたしましたところ、ご来賓として、○○ ○○ 鳴門教育大学・理事・副学長様 、□□ □□護者会 会長様、◇◇ ◇◇ 同窓会 会長様 の皆様のご臨席を賜りましたことに、厚く御礼申し上げます。
   本日この学び舎を巣立つ135名の皆さん、晴れの御卒業、誠におめでとうございます。 いま皆さんに授与いたしました卒業証書は、中学校3年間を学び終え、義務教育を終えたことの証です。 これまで皆さんを支えてくださった保護者の方々をはじめ、ご家族や先生方など、全ての人々に感謝の気持ちを持ち、卒業証書に込められた期待や願いを受け止めて欲しいと思います。
   保護者の皆様におかれましては、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。先ほどの「思い出のアルバム」にも流れておりましたが、3年前の入学時を思い起こし、立派に成長した姿に、喜びも格別なものがあるものと拝察いたします。多感な中学3年間、いろいろなことがあったと思われますが、これまでのご労苦に敬意を表しますと共に、高いところからではございますが、お子様のご卒業を心より お喜び申し上げます。
さて、卒業生の皆さんは、今、3年間の様々なことを思い出し、胸が一杯なのではないでしょうか。先ほどの思い出のアルバムを見ても、本当にあっという間の3年間だったと 感じたことでしょう。その3年間というのは、決して楽しいことばかりでは、なかったかもしれません。勉強や部活動でつまずいたり、友だちとの関係がうまくいかなかったりして、悩んだこともあったことでしょう。しかし、その一つ、一つが皆さんにとって、今となっては、大切な心の糧になっていることと思います。
   新型コロナウイルスは完全に終息したわけではありませんがその影響で昭和40年頃から続いていた新入生歓迎音楽会や文化祭におけるハレルヤ合唱が4年間にわたり中断されていましたが、それを皆さんの力で見事に復活させてくれました。入学以来、見たことも無かった伝統の行事を復活させてくれたおかげで、それらを経験できた在校生が、また伝統を引き継いでいってくれます。皆さんのおかげです。ありがとうございました。
   他にも今年を振り返ると、皆さんは、最上級生として素晴らしい足跡を残してくれました。学業はもとより、スポーツ、文化、芸術活動など、多方面にわたり、輝かしい実績を残してくれました。後輩たちも皆さんの活躍を目の当たりにし、附中の伝統をしっかりと受け継ぎ、皆さんを目標に、あとに続いてくれることと思います。
そんな後輩から目標とされる皆さんに、私から最後のお話をします。
皆さんがこれから生きていく世の中は、希望にあふれて輝いて見えているかと思いますが、生成AIなどが一層発達して、自動運転や多様なロボットが登場し、自動化もどんどん進むソサイアティ5.0と呼ばれる超スマート社会は、生活が便利になってもそれだけでは、決して十分な幸せを享受できるとは限らないかも知れません。どのように科学技術が発達しても、コロナ禍のような予測不能なことが起こりうる世の中を、皆さんはこれから生き抜いていくことになります。
   しかし、どのような世の中がやってこようとも、人が幸せに生きる、生きたいという欲求を満たすためには、人としての「思いやり」のある「美しい心」無くして人類の幸せはやってこないと思います。本校の校訓である、敬和奉仕の精神に生きる人間学校、その卒業生として、皆さんが今後それぞれの分野のエキスパートとなって、日本、そして世界を支える人材になっても、人として、温もりのある,美しい心を持った、大人になることを一番の目標にしてください。
   そんな大人の一人を皆さんは身近に見てきました。それは警備員の北上さんです。今朝も皆さん一人一人をいつもの笑顔で迎えてくれたことと思います。私にとって、最も尊敬する人生の先輩です。今日校門を後にするときに、今まで毎日優しく皆さんを見守ってくださった北上さんに、負けないくらいの笑顔でお礼を言って欲しいと思います。
   これからの人生において、人を思いやる心と感謝の気持ちを忘れなければ、必ず皆さんの周りには、皆さんを支えてくれる仲間の輪ができます。これからの時代,世の中の中心となって活躍する皆さんだからこそ、本校で培った、人間学校の精神を忘れないで仲間を大切に頑張って欲しいと思います。
  終わりになりましたが、保護者の皆様には、本日まで本校の教育活動に、温かいご支援とご協力を賜り、誠にありがとうございました。心よりお礼を申し上げます。今後とも本校の応援団として、附中を大所高所から見守っていただければ幸いです。
   また、ご来賓の皆様には、これまで本校教育に寄せていただきました、ご理解とご支援に厚くお礼を申し上げますとともに、今後とも、ご指導、ご鞭撻を賜りますよう、お願い申し上げます。
卒業生の皆さん、いよいよ巣立ちの時が近づいてきました。今一度、ステージ右側に掲げられた、ちょうど2ヶ月前にこの場所で揮毫した、雄名録の掛け軸を見てください。昭和26年から一度も欠かすことなく続いている新年揮毫式の75幅めの掛け軸が完成しました。この雄名録に記された皆さんの名前はいつまでも本校に残り、後輩に受け継がれ、毎年この体育館に展示されます。
この揮毫式は公開行事としています。将来、皆さんが悩んだり、辛いことがあれば、遠慮なく揮毫式に来て、この雄名録を見つめてください。そこには、自分の書いた氏名とともに、3年間共に頑張ってきた仲間と、恩師や後輩の名前があります。きっとそれらが、皆さんの背中をそっと押してくれる勇気を与えてくれることと思います。
これから、皆さんは、それぞれが描く夢に向かって進んでゆきます。次のステージでも皆さんは夢をかなえるために、たゆまぬ努力をし、多くの知識を獲得していくことと思いますが、夢の実現のためには「知崇礼卑」(ちすうれいひ)の精神が大切です。その思いを大切にしながら、夢に向かって、未来を切り開いていってください。私も、もう今日で見られるのも最後となった、その歴史ある附中の制服と共に、皆さんの姿を瞼にしっかりと焼き付けておきます。
   卒業生135名の、限りない前途を祝福して式辞といたします。

令和 7年 3月 7日
                                  鳴門教育大学附属中学校 校長 大 泉 計

 

というような感じでした。

  私は、恥ずかしながら、式辞というものを今回で7回も読ませていただきましたが、毎回、毎回、本校以外での卒業式も含めて、その年その年の卒業生は大きな感動を与えてくれました。半世紀近く前の私自身の中学校(木造校舎)の卒業式もセピア色に思い出されます。巣立ち、旅立ち、何度も節目、節目で味わってきた親しい者との別れ。本校を卒業して県外の高校へ進学する者も少なくなく、子供たちやその恩師の涙も本当によく伝わってきました。昔から、卒業や別れの音楽は数多くありますが、私のチョイスは当然、3月6日(木)の卒業式前日の「灯の儀」で子供たちが歌った「僕らまた」のような、今、よく流れている歌ではありません。こんな私でも、アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓15の君へ~」なら知ってるし、かつて本校でも卒業式で、最後に男性、女性のパートに分かれて素晴らしい合唱を卒業生が聴かせてくれたことを覚えていますが、この歌はまだ新しいと思っていたのに、リリースされてから、すでに17年以上経っていたなんて・・・。スミマセン。従って,タイトルの曲は、これはもう生徒の皆さんにとっては、お母さん、お父さん世代ではなく、おばあちゃん、おじいちゃん世代に聞かないとわからないかも知れません。この曲は、柏原芳恵さんという当時の人気アイドル歌手が、42年前に歌って大ヒットした曲です。https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=%e6%98%a5%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%ab&&mid=00490A3B1FC4C93105CC00490A3B1FC4C93105CC&&FORM=VRDGAR
   なんと、作詞、作曲は中島みゆきさんなんです。きっと私が「卒業」というテーマですぐに浮かぶのは、古い歌しか知らないだけでなく、中島みゆきさんのデビュー曲「あざみ嬢のララバイ」(「時代」は、デビューして2作目です!)以来、現在までずっと彼女の曲を聴き続けているだけに、歌詞や曲に惹かれるものがあったのだと思います。♪・・流れる季節たちを 微笑みで送りたいけど・・♪  こんな素敵なフレーズを、生成AIも作れるようになるのでしょうか・・?
   最後になりましたが、もし、こんな駄文をここまで読んでくださっている卒業生のみなさんや、保護者の皆さまがいらっしゃるならば、皆様、本当にご卒業おめでとうございます。中学3年間の生徒の努力と、ここまで立派にお子様をお育てになった保護者の皆さまに謹んで、お喜びを申しあげますと共に、本校はいつまで経っても子供たちの母校であり、担任や学年団の先生方は恩師です。いつでも気軽に頼ってください。皆さん、そしてご子息の益々のご活躍を心より祈念しています。皆さん お元気で!



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