立春を過ぎてから、急に真冬に逆戻りしたような寒さが続いています。そのような中、本校の生徒は、どんなに寒くても毎朝7時半~8時15分くらいまで、運動場や体育館でボール遊びをしています(若い!)。徳島でも県西部は先週(2/6~2/7)には、かなりの積雪があり休校の学校も多かったようです。それでもまだ、四国地方は当初予想より降雪は少なかったものの、北海道南東部、東北、甲信越方面は記録的な降雪になったようです。私もそうでしたが、こちらの子供たちは雪がちらつくと、ウキウキしてきて、積もり始めるとすごくテンションが上がります。交通網を心配するのは大人になってからだったように思います。雪だるまを作りかけても、大きくなる手前ぐらいで、土が雪に付いてがっかりしたのは私にすれば、半世紀よりはるか前だったと思いますが鮮明に記憶に残っています。学生になって、鉄道好きの私は、列車に乗って全国を旅するようになったのですが、冬場はできるだけ北を目指しました。友人らが北海道でスキーを満喫しているときに、一カ所に留まるような旅は私の構想には無く、どんどん廃線になっていく当時の国鉄の路線を、少しでも多く乗りたくて、道内を駆け巡っていました。東北でも、山間に入ると、運転席のすぐ後ろから車窓を見ていると、雪で全く線路は見えないのに、どんどん進んでいくのが新鮮でした。(こちらで降るような湿り気のある雪では考えられません)そんな北国では、降雪は楽しいことではなく、生活を圧迫する厄介な現象であることを、現地を真冬に旅するようになって実感しました。夕張へ行った時に、車内で高校生が「朝早く先生が運動場へ水をまいてくれたら、その日の体育の授業はスケートになるし、スキーはすぐ裏の山でできるから、二時間続きの体育にすれば、スキーも平日に授業としてできるんだよ」と教えてくれたときに、いいなぁと感心したものですが、雪下ろしの大変さも聞いとけばよかったと思いました。
建国記念日を過ぎて、雪や低温のピークは過ぎたようですが、これから一気に春に向かって欲しいものです。暖冬が続くと、冬らしさを感じないままに春になってしまうのではないかと残念がったり、気温が下がると、「寒い寒い」を連発し、外に出るのを億劫がってしまいます。そのくせ、その半年前には、「暑い暑い、こんなに暑いんじゃぁ、やっとれんわぁ!」と嘆いていた自分。無いものねだりというか、本当に煩悩の塊のような私はつくづく自分のワガママかげんを昨今の気候からも思い知らされております。こんな私が、「暑い時や寒い時は、半年前を思い出せ」とか、「この変化こそ四季の移り変わりが実感できる国に生きてるからこそ、味わえる幸せだよなぁ」、等と若い頃は教室で偉そうに、暑ささ寒さを享受できる喜びを生徒に語っていたものでしたが……。
パリ協定から、大統領就任直後に離脱した大国がある中で、このまま地球温暖化に歯止めがかからず、日本の美しい四季の移り変わりも夏と冬だけになってしまうのではないかと言われる中で(このことも影響して、本校は『衣替え』を来年度から撤廃します)、今の中学生がこの国を、そして世界を牽引していく将来がとても気になります。「Society 5.0」の超スマート社会で自動運転の実現は想定されてはいても、気象状況のコントロールは想定されてはいないようですし‥‥。
これから、中学校現場は3年生が公立高校の入学試験、それが終わると卒業式を迎えます(在校生は毎日、先輩の伝統を引き継いで、あいさつ運動を続けています)。1,2年生は進級し、新入生を迎える入学式もやってきます。これら人生の節目を素晴らしい思い出と共に締めくくり、そして新たなスタートがしっかりきれるように、年度末に向けてラストスパートの時期に入っております。誰もがいい気持ちで今年度を締めくくれるよう、それに向けて我々は全力で準備をしていきます。
そういう状況のなかで子供たちを見ていてつくづく思うのは、当たり前なのですが、誰しもそれぞれの人生において、嬉しい事、楽しい事ばかりが続くわけでは無いということです。辛い事やくじけそうな事があった時に、それらをどれだけ自分の今後の人生の肥やしにできるかが重要なのですが、10年余りの人生経験しかない子供たちには、教職員とともに保護者の十分な支えが必要です。十分な、と言っても、多感な年頃の中学生には、親としての距離感も重要です。つかず離れずの距離感は、子供にとって最も安心な状況だと思います。私の経験ではありますが、いつまでも小学校低学年のままでいるような、(あの頃のままいて欲しいという願望と相まって)錯覚をするときがありました。これまた当たり前のことですが、どの親御さんにもご自身の中学時代がありました。もちろん、こんな私もそうです。だからこそ、時々、どんなに時代が違っていてもあの頃の自分(私のように親に反抗ばかりしていた方ばかりでは無いと思いますが)を思い出すことが、目の前のお子様の心の叫びを感じとるきっかけになるのではないかと思うんです。毎回、このページに私の全くの独断に満ちた懐メロのフレーズを掲載させていただいているのも、保護者の皆さまが、昔をふりかえるきっかけに少しでもなればいいな、という思いが当初はあったのですが、現在は完全に自分の嗜好に走っており申し訳ございません(猛省↘)。選曲につきましても、私自身の中学生の頃の曲を基準にすると、保護者の皆さまは、小学校低学年や幼稚園どころか、お生まれになる前に流行った曲も多くなってしまい、スミマセン。でも有名な曲が多いので、リアルタイムでなくても聴いたことはある、という曲もあると思いますのでお許しください。また、ロックやヘビメタは私の友人は大ファンでしたが、私はアコギの音色やポップスの方が好きだったもので、選曲に偏りがあり、申し訳ありません。大学生以降、お金の許す範囲で取り組んできた趣味のオーディオで真剣(!)に聴くのは、JAZZが中心で、レコードやCDを500枚以上ため込んでいるのですが、断捨離が進まず、家族のひんしゅくを買っています(苦笑)。
話がいつものように(!)逸れましたが、子供は様々な悩みを抱えて、それを親や教師だけでなく、周りからの支援も参考にしながら、自ら乗り越えながら成長していきますが、その苦労は多かれ少なかれ、必ず将来の彼ら、彼女らのプラスになるし、挫折を全く味わわない人生が、果たして最高なのか、挫折の繰り返しだった私にはわかりません。でも、本当に「若い時の苦労はお金を出してでもしろ!」という言葉が昔からありますが、私はお金も出さずにたくさん経験させていただきました。これも倹約というのでしょうか(笑)。
そんな今まで散々失敗を繰り返し、辛い思いもしてきたはずの私は、この歳になっても、情けないこと、ふがいない事が仕事のことでもいろいろあって、、夜な夜な校長室(電車が走り<1月29日がラストランとなったJR東海のドクターイエローも走っています!>、音楽を鳴らして、航空無線を聞いている趣味の部屋でしょ?と言われますが、かなり近いかも・・<笑>)で、自問自答しております。人は一人では生きてはいけないというのは言うまでもありません。そこで、世間一般で言う定年の歳まで生きてきた者は、今後は、今まで自分を助けてもらった多くのことに対して、恩返しをしていかなくてはならないと、偉そうな言い方ですが、心からそう思うようになってきました。あと何年の人生かわかりませんが、それを忘れてはいけないと、様々な本を読んで感動したり、音楽の歌詞に心が揺さぶられるたびに思うのですが、稚拙な言動しかできていない現実の自分とのギャップに、今さらながらもがいています(ただし、私と違って本校の先生方は、本校の使命の一つである「研究」を大切にしており、年度末の2月~3月にかけて、5本くらい校内の全教員が参観する研究授業を実施しています。年度末の忙しい中でも、これだけ研究授業をしてその後、研究会をして、日々の実践に生かしている学校は希有だと思います)。
少し、暗い話になりましたが、そんな気分の時、この季節によく聴く表題の曲https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%87%e3%82%a3%e3%83%bc%e3%82%ba+%e6%98%a5%e4%b8%80%e7%95%aa%e6%ad%8c%e8%a9%9e&&mid=D365FD6F9063B97C447BD365FD6F9063B97C447B&&FORM=VRDGARは、心を和ませてくれます。リリースは、今から49年前(YouTubeの映像の終盤で応援している若者たちは、皆さん、現在70歳を超えていると思います)で、当時私は県西部の素麺で有名な町の中学(木造校舎)1年生でした。今の時代にも時々流れることがあるので、令和の時代の中学生も耳にしたことがあると思います。「♪ 泣いてばかりいたって 幸せは来ないから 重いコート脱いで 出かけませんか ♪」… 心にしみます。明るい曲調に励まされるのですが、辛い時はそれが余計に悲しく響くこともあります。
本校のすぐ近くには、吉野川の堤防(土手)があり、毎年3月に入ると、つくしを取っている人たちを見かけます。気分転換に、『はずかしげに顔をだしている つくしの子』 がいないか、寒さが緩んだら見に行ってみようかな、と思います。吉野川の土手に春を探しに行って、3月7日に挙行される、本校の卒業証書授与式での式辞のフレーズの一つでも浮かぶといいのですが‥‥。