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立春を過ぎたというのに、空気はまだ冷たく、八日には雪がちらつきました。徳島市(本校周辺)の雪は、降り積もるというより、風に運ばれて舞うように現れ、そしていつの間にか消えていきます。校長室前の廊下からその様子を眺めながら、「ああ、今年もこの情景を見る時がやって来たな」と、中庭に舞っている雪を見ながら例年と同じようなことを思いました。そんな中、中庭の桜の高い蕾にあと1か月半もすれば咲き誇るであろう、エネルギーを感じました。
3年生にとっては、まさに時間が凝縮される頃となりました。私立高校や県外高校の入試等がすでに始まっており、公立高校の出願も目前に迫ってきています。校内では最終の面接練習が始まり、練習会場へ向かう生徒たちの表情も、引き締まってきました。いつもと変わらぬ笑い声が聞こえる3年生の教室や廊下の雰囲気も、どこか張り詰めたものに変わってきたように思います(写真は朝の登校風景と、運動場でサッカーに興じる生徒たちの様子をドローンで撮影してみました)。私はこの時期になると、自分自身が中学生だった半世紀も前の頃のことをよく思い出します。決して本校の生徒のように優秀な生徒だったわけではありません。1学年80人くらいの山間の中学校に通っていましたが、こんな私でも成績に一喜一憂し、結果に落ち込み、周囲と比べてはため息をついていました。冬の朝、冷たい空気の中を自転車で登校しながら、「この先、自分はどうなるのだろう」と、答えの出ない問いを頭の中で何度も繰り返していたことを覚えています。でも、そんな中でも、親が怒りを通り越すくらい、海外の短波放送受信に明け暮れ、あこがれのオーディオやカメラ、他にも鉄道や車、無線機の雑誌を読みふけって、呆れられていました(笑)。そんな当時、私がよく聴いていた歌の一つが、イルカの名曲「なごり雪」でした。リリースは、私が中学校1年生でしたが、今の中学生でもこの曲は知っていますよね。https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?
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当時の中学生の私にとって、この歌の意味を完全に理解していたとは言えません。ただ、メロディーのやさしさと、どこか切なさを含んだ言葉が、心に静かに残っていました。♪ 汽車を待つ君の横で 僕は時計を気にしてる 季節はずれの雪が降ってる ♪ この「季節はずれの雪」という表現が、当時の私には不思議でした。雪は冬に降るものなのに、なぜ「季節はずれ」なのだろう、と。けれど、年を重ねるにつれて、この言葉が持つ意味が少しずつ分かってきました。人生には、「もう次へ進まなければならない」と分かっていながら、心がまだその場に留まっている時間があります。中学から高校へ、高校から大学へ。進路が決まるということは、新しい場所へ向かうことですが、同時に、今いる場所との別れを意味します。その狭間に立つとき、人は少し立ち止まり、振り返り、迷います。二月という月は、まさにその時間を象徴しているように感じます。
大学生になってからも、「なごり雪」は私のそばにありました。下宿先で当時食べるものも惜しんで手に入れた自慢のオーディオ機器(スピーカーは今でも自宅で健在)から、ギターの音が綺麗に響くようにチューニングしながらよく聴いていましたし、友人と何気なく口ずさんだこともありました。将来像が見えず、不安ばかりが膨らんでいた頃、この歌は「焦らなくてもいい」と語りかけてくれているようでした。イルカばかりが有名ですが、この曲を作詞作曲をし、「かぐや姫」の曲だから、と遠慮するイルカにこの曲を託した、伊勢正三という人のセンスに感動を覚えます。あの「22歳の別れ」ができたのは、この「なごり雪」をリリースした後に、伊勢正三が一晩で作ったということを知って驚きました。一節には、この歌の中の二人は同一人物ではないか、という噂もありました。こんな話は、今の中学生の人たちはついて来れませんよね。ごめんなさい。もっと言うと(まだ言うか!)「かぐや姫」の解散後、伊勢正三は「風」というフォークデュオを結成しました。すごく素敵な曲が多く、私は3枚のLPを今も持っていて、先日休日に校長室で(!)久々にかけました。そして何と本校の事務室にお勤めの方が、学生時代熱狂的な「風」のファンだったことを知り、とてもうれしかったです。生徒のみなさんも、今も活躍中の「南こうせつ」と言ったらピンとくるかな?その人と一緒だったグーループが「神田川」や「赤ちょうちん」等数々のヒット曲を出した「かぐや姫」です。興味があれば(無くていいです<笑>)ググってみてください。
話を、「なごり雪」に戻します。♪ 東京で見る雪は これが最後ねと さみしそうに君がつぶやく ♪ このフレーズには、「終わり」がはっきりと描かれています。けれど、その終わりは決して悲劇ではありません。終わりがあるからこそ、人は次の一歩を踏み出すことができます。別れがあるからこそ、出会いが生まれます。今、三年生のみなさんは、それぞれの「汽車」を待っています。合格発表という汽車、次の学校へ向かう汽車、まだ行き先のはっきりしない汽車。誰もが同じ速さで、同じ方向へ進むわけではありません。早く動き出す人もいれば、少し遅れて乗る人もいます。それでいいのだと思います。ちなみに「汽車」という言い方は徳島では普通ですが、電車しか走っていない都心部では「汽車」は、「蒸気機関車」を連想するようですが、半世紀前に作られたこの歌詞の中の「汽車」は「ブルートレイン」です。中学生諸君は「ブルートレイン=ブルトレ」もわからないかな。もっと言うと、この歌詞の中のブルトレは、当時、東京駅18:00発の「富士」がイメージされているんですよね。(もういいって!<苦笑>)
話を戻しますが、この時期、保護者のみなさまもまた、落ち着かない日々を過ごされていることと思います。お子さん以上に結果を気にしてしまったり、つい先回りして言葉をかけてしまったり、あるいは何も言えずに、見守るしかないもどかしさを感じておられる方もいらっしゃるでしょう。私自身も、振り返れば、あの頃の自分を支えてくれていたのは、必要以上に言葉を重ねない大人の存在だったように思います。励ましすぎず、叱りすぎず、ただ「見ているよ」という姿勢。それは当時、心強さとしてはっきり意識されていなかったかもしれませんが、後になって確かな支えだったと分かりました。受検というものは、どうしても結果で語られがちです。合格か不合格か。けれど、学校で私たちが見ているのは、その結果に至るまでの時間です。面接練習で言葉を探す姿、志望理由書を書くために悩む時間、友だちと交わす何気ない会話。そのすべてが、子どもたちを一回り大きくしています。3年生のみなさんに、私は一人の人生の先輩として、伝えたいことがあります。それは、「ここまで積み重ねてきた時間は、結果に関わらず、確実に自分の中に残る」ということです。日々の生活の一瞬、一瞬が皆さんの宝物になるはずです。1、2年生のみなさんも、今は基礎学力テストや学年末テストを控え、落ち着かない時期かもしれません。3年生の姿を見ながら、「来年は自分たちだ」という思いを抱いている人もいるでしょう。受検は突然やって来るものではありません。日々の積み重ねの先に、姿を現すものです。一日、一日を大切にすることで、附中への想いも深く、大きなものになるはずです。
二月に降る雪は、やがて溶けます。それは消えてしまうのではなく、春を準備するために姿を変えるのです。「なごり雪」という言葉には、別れを惜しむ気持ちと同時に、次の季節を受け入れる覚悟が込められているように思います。
ここまで読んでくださったみなさん、毎月のようにこの駄文を読んでくださっている奇特な方がいらっしゃったら(本校の国語科の教員から、「フチュッピーの部屋、毎月読んでるっていう3年生、意外(!)にいますよ」と最近言われ、恥ずかしい限りです。生徒のみなさん、受験勉強の息抜きなら、こんなページで無く、村上春樹短編集とか、重松清のビタミンFがお勧めですよ<笑>)、いつものダラダラ文と書き方(表現方法)が違うな、とお気づきではないでしょうか。そうです。途中までの文書を生成AIに添削してもらったのです。そうすると、条件設定に「校長がHPに書いている、とりとめも無い話題・・・」等と、プロンプト(指示する項目)に記したのですが、AIは「校長」と言うワードでビッグデータから情報を得たためか、私には似ても似つかぬ高尚な文面に、本の数秒で校正されました。あまりにも自分らしくないので、随分修正しましたが、それでも「こんな表現方法や、ここではこういう言葉が向いているな」と感心することしきりでした。自分が書いた文書を校正するだけで、こうですから、最初から「○○について書いて」なんて指示すると、一瞬で自分ではとても書けない文ができあがるでしょうね。それを、さも課題完成!とばかりに提出するのが、最近の大学生のレポートでも蔓延しているらしいです。先日本校で開催しました、令和8年度の入学説明会で、来年度入ってくる小学6年生の児童に向けて私は、生成AIの素晴らしいところを、中学校の授業でも積極的に取り入れていきますが、使い方を間違えるとみなさんの思考力や創造力が停滞するばかりか、後退していくことが、すでに実証されています、という話をしました。そして、「まずは、児童のみなさん、ハルシネーションという言葉を知っていますか。知らない人は帰ってググってください。これを知らずして、生成AIを使おうとすることはとても危険です」ということを話しました。読書感想文の宿題を本も読まずにこの本の感想文を小学校6年生らしい内容で、原稿用紙5枚にまとめてください、と打ち込めば、ほんの5秒くらいで、2000文字の文章が画面に出てきます。それで宿題終わり、なんてことになれば、読解力は何も身に付きませんね。でも生成AIに自分が書いた感想文を読ませて、評価してもらえば、「登場人物の○○への思いが弱いですね」とか、「なぜ、○○がああいう言い方をしたのかをもう少し、深く読み解いてみたらどうでしょう」などのアドバイスがもらえ、更に深く考えようとするでしょうし、「この本を読んで凄く感動した私に、お勧めの本を紹介して」と問いかければ、あっという間に今回の感想に沿った、いくつかの本を紹介してくれて、読書への関心が更に高まることでしょう。従って、生成AIは、いろいろな事を教えてくれたり、答えを出してくれる道具として使うのでは無く、自分の考えを深め、高める「良き相棒」として使ってください、という内容の話をしたのですが、伝わったでしょうか。今後、この分野は日進月歩で発展を続けると思いますが、みなさんの将来の夢の実現に向けて、「良き相棒」として携えてもらえたらな、と思います。
それでは、3年生のみなさん、段々と本番は近づいてきますが、それにつれて不安になるのは、真剣に取り組んでいるからです。迷うのは、未来を考えている証拠です。どうか自分を信じてください。これまで歩いてきた道は、決して間違っていません。卒業まで、残り一か月を切りました。校舎の風景は変わらなくても、みなさんの心の中では、確実に何かが動いています。季節はずれの雪が舞う中で立ち止まるこの時間も、やがて振り返れば、かけがえのない「なごり」になるはずです。ご健闘を祈っていますからね。
春は、もうそこまで来ています。