いきなり表題の曲ですが、この曲「ふたりの愛ランド」は今から40年以上前、1984年の4月にリリースされ、航空会社の沖縄キャンペーンソングに使われたこともあり、大ヒットしました。私も学生最後の年だったこともあり、「こんな自由で開放的な夏も、もう最後だろうな、働き出したら、夏もこんなに楽しめないだろうな」と思ったことを記憶しています。夏を代表する歌は数多く存在するものの、このリズムは脳裏に染みついています。でも私にとって、この歌に似合う夏は、暑くても、青空や入道雲がマッチした、爽やさも感じられる「夏」だったからこそ、夏になると、ついこのリズムを口ずさんでしまってたんだと思います。保護者の皆様も耳にしたことはあるのではないでしょうか。チャゲ&石川優子という意外なコンビだったことも話題になり、よくカラオケでも仲間がデュエットしていたのを私は、うらやましく聴いていた(苦笑)ことも覚えています。 https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=chage+%e6%84%9b+%e3%83%
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今では、この歌が流行った頃には想像もできなかったような気温が、日本列島を席巻しています。「猛暑」や「酷暑」という言葉は、今までにも聞いたり使ったりしてきましたが、他に激暑なんて言葉も辞書にはあるようですが、他の表現をAIさんに聞いてみると、「極暑」「厳暑」「炎暑」なんて出てきましたが、辞書を引くと、大暑、盛暑、暑熱、炎熱、酷熱 等も出ていました。でも、現在最もよく耳にする、大変な暑さを表現する言葉は、「災害級の暑さ」ではないでしょうか。確かに、尋常ではない暑さだろう、というイメージはしやすいのですが・・・。昭和に発行された辞書には、最近市民権を得たカタカナ言葉である「ワンチャン」、「チルい」、「アクスタ」等が入っていないのはわかりますが、暑さを表す表現もここ数年で随分増えたのではないでしょうか。思い起こせば2023年の新語大賞は「地球沸騰化」でした。大手の国語辞典に載っています。ちなみに、『大辞林』には、〔【地球沸騰化】地球温暖化による気候変動が看過できないレベルにあるとして、より深刻で容赦ない段階であることを示す語。2023年7月の全世界の平均気温が観測史上最も高温になるという予測に対して、国際連合の事務総長がより一層の対策を促すために使用した。〕と出ています。それから2年が経ち、7月末から全国各地で最高気温が40度を超え、各地域で「史上最高気温を更新!」と報じられています。これから日本の夏は、そして地球はどうなっていくのでしょう。昔も(私が幼少の頃も)夏は暑くて、泳ぎに行ったり、水浴びをしたり‥。それでもクーラーなんてなかったし、打ち水や、短時間の夕立等で、涼も取れていたように思います。「クーリングシェルター」なんて言葉もきっと次の国語辞典の改訂版には入るんでしょうね。もう、クーラーなしの生活なんて、体調どころか命に関わります。それなのに、避難所になる予定の体育館へのエアコン設置がまだまだ進んでいないのはどうしてでしょう。先日も東日本大震災以来の津波警報(徳島県沿岸は注意報)が出て、緊張感がありましたが、あれで避難してくる地域住民の方々が本校へ来たとしたら、エアコンのある教室に入ってもらわないと、体育館は絶対無理です。今回の件で、体育館へのエアコン設置がスピード感をもって進むことを期待します。ある紙面に次のようなことが書かれていました。「戦後80年、阪神淡路大震災から30年の今年は、様々な催しが準備されていて、思いを風化させることのないようにと、あちらこちらで言われていますが、第二次世界大戦からはもちろん戦後で、二度とこのような過ちを起こさないようにすることは人間の努力で可能です。そして、災害も阪神・淡路大震災や、東日本大震災、熊本地震や能登半島沖地震から今を考えると、「災後」ですが、南海トラフ地震は、確実に起こると言われてながら、いつ起こるかはわかりません。明日かも知れないわけです。科学技術がこれだけ進んでも、人間の力では地震の発生は、コントロールできません。そう考えると、今は「災前」であるから、その意識をしっかり持たなくてはならないのです。」まさにその通りだな、と今回の津波警報(注意報)で実感しました。この日(7月30日)本校は夏期休業中で部活動や、3年生の補充学習に多くの生徒が来ていましたが、発令直後、今は公共の交通機関も動いており、津波到着予想時刻まで2時間余りあり、予想される津波の最大高が1mで、本校は海抜約1m50cmなので、とりあえず部活動はそのまま続けるように、との指示を各顧問と3年生の先生方にしました。そして最後に解散する前に職員室に来てミーティングで話してもらう内容、(まっすぐ帰る。津波の情報をテレビ等から入手し、注意報継続中は、不要な外出をしない、帰っても保護者がいない人は保護者に無事帰っている旨の連絡をするようにetc)を教頭先生に用紙にまとめてもらい、それを確実に生徒に伝えてもらうようにと、各顧問と3年生の先生に手渡しました。
暑さの話から、先日の津波の件まで、またグダグダと書きましたが、これを読んでるだけで暑さが増すわ!という声も聞こえてきそうですが、多くの方は、このコーナーを開けたらすぐ閉じるそうで、当初の目的(!)が達成されています(笑)。
本校では、少しでも暑さを凌ぐのにはほど遠いですが、冷水機の近くにミストシャワーを置いたり、風がよく通る玄関ホールで風車を回して、その下に「水分補給を忘れない!」とか「早寝早起き朝ご飯で、体調管理を!」とかのプレートをつけて、体調管理を呼びかけたりしています。そして、夏の風物詩の一つである、これは昔に比べて段々規模が大きくなり、見応えがするようになった「花火」ですが、本校のすぐ近くを流れる吉野川(四国三郎と呼ばれ、利根川<坂東太郎>、筑後川<筑紫次郎>と並ぶ日本三大暴れ川の一つ、川幅は全国第2位)の河川敷で「吉野川フェスティバル」と言う催しが市政100周年の年に開催されて、途中コロナ禍の中断を挟んで30回以上開催されています。この催しでは、7月末の金、土、日の3日間、毎日最後に花火が打ち上げられるのですが、本校の屋上から見ると目の前に大変綺麗に見えるのです。私は兼々、ここは有料座席として売り出せるのでは?と思っていました(笑)。ホントよく見えるんですよ。写真は小さいですが、伝わるでしょうか?徳島市は、現在の徳島市政が始まって今年で136年目ですから、この「吉野川フェスティバル」(通称:よしフェス)が始まったのは36年前で、私は教員になってまだ5年目くらいで、今から考えると(現在もさして変わりませんが・・)本当に当時は、恥ずかしい程の「イケテナイ」教員だったと思います。その頃、私に担任されたり、授業を教わった皆さん、今更ながらお詫びいたします。しかしながら、当時の生徒がもう50歳前後になっていて、最近も会った人がいるのですが、本当にみんな立派になられて・・・。私以降に出会った先生方のおかげだと思います。そんな私に今でも会えば、「先生」と呼んでいただけることで、「教師冥利につきる」と先輩諸氏がよく言っておられた言葉がありますが、私も教師の端くれとして、何も貢献できたことはないのに、少なからずそういう思いを味わわせていただいております。また、暑い中、話がそれてきましたが、その市政100周年の年に徳島市から市内の各学校にクラス数だけ、タイムカプセルと称する、透明の厚いプラスチックの楕円形のカプセルをいただき、そこにいろいろなモノを入れて、将来(50年後)取り出しましょう、という企画があり、そのカプセルに多くのモノを入れました。だいたいトイレットペーパー2個分くらいの大きさだったように、思います。作文とか、クラス写真とか定番(!)のものは入れたのですが、私は、どうにかして動画を入れたかったのです。しかしながら、当時は、小型ハードディスクも、DVDもありません。なんと言ってもWindowsが世に出るずーっと前ですから。ビデオテープとなると、VHSかベータです。ベータは、まだ残っていましたが、再生できる機器は当時でもかなり少なくなっていました。ちなみに本校は、昔から視聴覚機器はすべてSONYの特機部門の機器がはいっていたため(ビデオカメラも放送局にあるようなものが複数台あって、それを中学生が操作しているのを、教育実習に来たときに初めて見て、たまげました!)校内のビデオデッキはすべてベータでした。(今の若い先生方は、ベータどころか8mmテープもご存じなかったりします。ついでに言うとMDも・・)別に古いものを知っていればいいというのでは無く、私は教科(技術分野)の教材として、「技術史」を昔から大事にしてきましたので、蓄音機やら、真空管ラジオ、木製のゼンマイ式の柱時計やら、ダイヤルの無い電話機、オール金属製の扇風機、そしてフロッピーディスクは、5インチだけで無く、最初の7インチ(最後に広く普及して使われたのは3.5インチで、初めてのフロッピーディスクだった7インチを記録するドライブは当時100万円近くしたと思います)など、教材研究と称して、最初は少なからずその収集に家族の理解もあったのですが、1年もすれば、「単なる趣味のガラクタ集めに無駄遣いをして・・・」と、呆れられましたが、そこで屈せず(!)続けると、相手にされなくなるので、その後は順調です(笑)。でも、もう断捨離をしなければならない時期に入っていますので、諦めも必要かなと思う今日この頃です(涙)。
もう、この暑苦しい文書をここまでお読みいただいている方は少数だと思いますが、要は、動画をタイムカプセルに入れたかったものの、当時はVHSと少数派のベータしかなく、ベータの方がVHSより小型だったのですが、それでもそのタイムカプセルには入らなかった、という話をダラダラと書いてしまいました。スミマセン。こんなことですから、ごくまれにここを読んでしまった(!)本校の中学生が「あのページはヤバすぎる。な~んも意味わからんことを校長がダラダラ書いている!」と本校の国語科教員に告げ、それを聞いた国語科教員は・・・以下省略します(笑)。それで(まだ続く!)当時の今以上に変わった教員だった私(笑)は、諦めきれず、「そうだ、Cカセットがある」ということを思いつき、そのアダプター等を購入し、Cカセットに20分くらい、学校生活と私のメッセージを録画し、厳重に密封し、タイムカプセルの中に入れました。私のメッセージは、下宿に三脚をたてて、ビデオカメラ(学校から借りたモノ)をセットし、何度も撮り直しました。それ故に、そこで話した内容だけでなく、その時着ていた衣装までも記憶に残っています(セーターの上から、グレーのはんてんを羽織っていたはずです)。ところで、このCカセットなるもの、今でも「VHS Cカセット」とググると出てきます。VHSと同じ大きさのアダプターの中に小さなCカセットをいれると、VHSデッキで録画、再生ができるのです。当時は、ベータは廃版直前で、VHSが主流だったのですが、そのVHSさえ、もう再生できるデッキの入手がかなり難しくなる世の中になろうとは、当時そこまでは考えが及びませんでした。アダプタと、可動するVHSデッキは持っているのですが、当時の学校にそれがあるかどうかわからないので、もし取り出しの日まであと14年、私が生きていたら(苦笑)、まず、それをDVD等のメディアに移し替えなければいけない、と思っています。ワンドライブの方がいいかも知れませんが・・・。ただ一番問題なのは、14年後の私の存在です。当時の生徒と集まって、それを見るのを目標に、残りの人生を頑張ろうかな、とも思えてきました。ちなみにタイムカプセルに入れたテープには、「平成元年度○○中学校1年2組の皆さん、お元気ですか。皆さんは、たぶんこれを見ている時は、仕事では定年も迎えて、第2の人生をバリバリ元気に生きているのではないでしょうか。私は、みんなと一緒にこのビデオは見えていないかも知れませんが、皆さんと出会えたおかげで、本当にいい人生だったと思っている、または、思っていたと思います。皆さんはどうでしたか。まだまだこれから続く人生にとって、私との出会いも何らかの励みになっていれば、とてもうれしいです。楽しかったよ。仲間を大切に、そして周りの人への感謝の気持ちを忘れずに、時々中学生の頃の事も思い出しながら、これからも頑張ってください。ありがとう。そして、さようなら。」ほぼこれに近いことを言ったはずです。何度も撮り直したので、よく覚えています。
花火の話から、ここまで引っ張ってしまいました。スミマセン。あと、一番最後の写真は、玄関ホールの掲示物です。これは、私が教諭だったころ、関東の中学校の玄関に、「今月の新刊!図書委員会のおススメ」というようなタイトルで、本のカバーをコピーしたものを表裏見えるようにヤマ折りして貼って、読書意欲を高めるような書評を生徒が書いていたのがとても素敵で、ぜひ本校でも取り入れようと思っていたのです。どこの学校でもそうだと思うのですが、図書室の利用は特定の生徒に偏っていて、利用者が少ないのが課題です。ただ、本校の生徒は、ご家族も含めて大変読書家が多いのが伝統です。今年から久しぶりに復活した、このHPの「読書の旅」のコーナーを見ていただいてもおわかりかと思います。その月に読んだ本の冊数をハードカバーもすべて、文庫本のサイズに多い、縦15cmに換算し、徳島駅から、読んだ冊数を牟岐線に沿って南下して行ったのです。牟岐線は約80Kmあるので単純計算で、約53万冊以上読んだわけです。今年は、4月から徳島駅を出て、西に向かっています。また時々、本HP内の「読書の旅」もご覧いただければ幸いです。
以上のように、本校の生徒はよく読書をするほうだとは思いますが、スマホやタブレットを始めとした身近なディジタル機器が増えるにつけ、活字離れが起こっており、その結果、国語だけで無く、多くの教科のテストで問題文の理解不足が見られ、その原因の一つにその事が多かれ少なかれ関係しているのではないかと思われる、という報告が先日、今年の全国学力学習状況テストを振り返って報道されていました。これは本校の生徒にも少なからず当てはまるのではないかと危惧しております。それで、話は戻りますが、玄関ホールの掲示は、本校の国語課主任が中心になって貼り出してくれました。そこに掲示してあるのは、本校の教職員の「オススメの本」と、その本の「推しのポイント」です。実は、本校には、本校の保護者会(本校では創立当初から、PTA組織ではなく保護者会組織が存在します)が年に2回発行している、「なかよしのひろば」という保護者会便りがあります。ちなみにネーミングは、本校の所在地である中吉野が由来です。その最新号に今年度の教職員が顔写真入りで全員紹介されており、そこに毎年、「好きな食べ物」、「行ってみたいところ」、「趣味」等、各自の好みについて書く欄があり、毎年「お題」が保護者会広報部から出るのですが、それが今年は「中学生にオススメの本とその理由」でしたので、そこに紹介されていた本の表紙をカラーコピーして、子供の目に触れやすい場所として、玄関ホールに掲示してもらったのです。私自身、本に親しむようになって家庭にも多くの本が作り付けの本棚以外にも山積みになっています(主に文庫本)が、中学校時代は趣味の専門誌はかなりの量を読みましたが(したがって学力には結びつきませんでした。しかしながら、教員になって仕事上<技術の教員として>では、大変役立ちました<笑>)、読書と呼べるようなことはたいしてしていませんでした。それは、単純な(昔から)私は、夏に小説等の本を読む=宿題の読書感想文のため、という構図が染みついてしまって、本の面白さを知らないまま中学時代を過ごしてしまったからで、そのことを今更ながら、後悔しています。「朝読」とかもなかったし、読書の面白さや奥深さにいざなってくれる先生にも出会えませんでした、なんて、先生の責任では全くありませんが、今のように、インターネットもスマートフォンもなかったので、もっとそちら(読書)に傾倒すればよかったと思うのです。当時の私は、TVでも漫画でもなく、夜はひたすら「プラモ製作」と「海外の短波放送の追っかけ(BCL)」に夢中でした。高校時代は「現代国語」の先生が、文学の面白い話をたくさんしてくださり、興味が出てきたのを覚えています。私が詩人では「中原中也」が好き!なんて言うと、「やっぱり、変わってる!」(笑)と、よく言われるのは、その先生の影響です。でも残念ながら、高校時代の夜は、「オーディオ」と「アマチュア無線」に明け暮れていて、読書に触手を伸ばすまでには至りませんでした。
スミマセン。どうでもいい自分の事をタラタラと述べてしまいましたが、子供たちには、多感な中学生の今、しっかりと活字に親しんで欲しいのです。ある若手の芸人さんが「本は自ら読み進めることでしか先には進みません。 このことは本だけが持つ、より正確に言うなら、文字だけが持つ素晴らしい特性です。テレビやYouTube、音楽、演劇、演芸、その他たくさんの娯楽が世界には溢れていて、それらはわたしたちの暇に割り込もうと必死です。わたしたちの視覚聴覚に勝手に忍び込んで注目を集めようと企んでいます。
しかし、本だけは違う。本だけは読まなければ何もこちらに関わってこない。他の娯楽は誰かの作ったリズムで進むけれど、本はわたしと歩幅を合わせてくれる。そういうところが好きで、わたしは本を読んでいます。」と、おっしゃっていました。私は、至極納得です。お笑いの人ってすごい人が多いですね。又吉さんは、今年の前期は「該当者なし」だった、あの芥川賞を受賞されていますし、ジャンルは違いますが、先日たまたまTVで見た「アカペラ甲子園」という番組で審査員をしていた、粗品さんの専門的知識と的確な言い回しに驚きました。(後で聞きましたが、彼はピアノやギターが弾けて、何より絶対音感の持ち主なんだそうですね)
ということで(どういうことで?)、この夏、本校の子供たちは本当に忙しいと思いますが、是非とも読書の時間を確保してもらいたいです。(参考にはならないと思いますが、私は今もそうですが、いつも2~3種類を同時進行で、時間とその時の気分で読み進めています。そうすると、ちょっとした隙間時間でも読書が進みます)玄関ホールの「先生方からのオススメの本」の次は、図書室に入った新刊の案内を図書委員にしてもらったり、季節や行事に対応したタイムリーな書籍も紹介しながら、玄関ホールの一角を「読書の広場」化(!)してもらえたらと考えています。この展示をしているときに、たまたま本校においでていた、鳴門教育大学の名誉教授で、絵本の分析と読み聞かせの権威(!)で有名な先生が、「これはいいねぇ」と言ってくださいました。また、先日本校で購読している「教育新聞」を読んでいましたら、昨年度の図書館グランプリを受賞した(こんな賞があることを知りませんでしたが)県外の学校の図書室が紹介されていたのですが、そこでは「先生方がオススメする本」を紹介する月刊を設けているとのことでした。
さぁ、みなさん(といってもこれを読んでくれる生徒は皆無なのですが<苦笑>)、お腹いっぱい(!)本を読んで、この「凄まじい暑さ」を乗り切りましょう!!
※ 徳島はまもなく『阿波おどり』が始まります。8月11日~15日の間、県庁所在地でありながら、20万都市の徳島市がこの期間だけ、100万都市になると言われています。県外にお住まいの方の中でこのページをご覧いただき、「呆れて!」と思うのですが、連絡をくださる方もいらっしゃいます。是非、このシーズンの徳島の雰囲気を味わいにお越しいただけましたら幸いです。皆様、このまだ始まったばかりの「2025Summer」ですが、くれぐれもご自愛くださいマセ。