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令和7年度が終了しました。歳のせいとはわかっていますが、本当に年月の経つのを早く感じるようになりました。「大阪関西万博」って今年だったよなぁ、後半、すごく盛り上がっていたよなぁ、なんて思っているのは、私だけでしょうか。本校は授業終了日が、昔から大学規則に合わせて、長期の休み前は20日なので、3月23日の月曜日は春休みだったのです。それで、教職員の異動が発表となる24日は、春休み中の登校日という設定にすることで、規則変更なしに他校と同じように、離任式も可能となっているのです。かつて、今から11年前までは、登校日は設けていなかったので、離任式は新年度になって、4月中旬の保護者会総会(日曜日)の午前中だったのです。しかし、この日は異動された先生方の赴任先の学校でも、いろいろと行事や部活動の応援等があり、なかなか全ての転職教員が本校での離任式に集まれませんでした。そこで離任式の開催日の変更を検討しなければ、と言っていた矢先、決定的だったのは、私が教頭時代に徳島市内の中学校へ転出した時に、赴任先でも地域の行事があって、どうしてもその場を離れられず、離任式を欠席をしてしまい、とうとうその歳は離任した教員が一人も集まらず、準備してくれた生徒会にも大変迷惑をかけてしまい、それならと、その翌年から、他校と同じように24日に修了式も離任式もするようにしたのです。
すでに新聞発表もありました(本校へ来る公立学校の先生、本校から公立学校へ出る先生は、氏名が載りますが、私は附属で修了なので氏名は載らず、今度来る校長先生の氏名が出ています)が、私は校長先生と呼んでいただいた業務をこの3月末で終了します。一旦定年退職してから、大学の学長や理事にお声がけいただき、3年間。気がつけば、県下の公立の小・中・高の校長の中で最も年寄りとなっていました。
私にとって、最後の修了式がありました。その後の離任式では、生徒にとって、私の挨拶よりも、他の多くの先生方のお話が聞きたいはずなので、そちらは短めにして、修了式での子供たちへの話は、自分の思いもかねて、しっかり伝えようと考えました。でも、この歳になっても伝える力の無さを痛感しているため、子供には「校長の話は長い!」としか伝わらないかな。でも、最後だし・・・。今までも、「今日の式での校長先生のお話、子供が感動したようでしたよ」なんて、おだててくれる先生もいらしたので、つい調子にのって話しました。しかしながら、年度末なので、会議も多く、なかなか原稿がまとまらず、そのうえ、いろいろ付け加えていたら、どんどん長くなり、覚える自信もなくなり・・・。しかし、23年前に本校に赴任した4月8日の対面式で、生徒会長が、何も見ずに笑顔で、歓迎の挨拶(かなり長文)を話してくれて以来、それに感動し、子供の方が自分よりはるかに優秀な事はわかっていましたが、精一杯、中身を覚えるまで頭にたたき込んで、子供の顔を見ながら話そうと決心しました。でも、教諭時代は教室以外では、話をする機会もさほど無く、教頭になって、年に何度かあった程度でした。 しかし、当たり前ですが、校長にさせてもらって、再び戻ってきてからは、その回数も一段と多くなりました。本校で3年間校長をした後、市内の公立中学校で校長をさせてもらった時は、コロナ禍まっただ中で、ビデオカメラの前で話すことが多く、カメラから目線をずらすと目立つので、その時も毎回練習して、カメラの向こう側の子供たちをイメージしながら話しました。よく、「カメラの下に原稿吊るしているんですか」と言われたのですが、体育館ではなくとも、表彰の生徒や他に話をされる先生も一緒に部屋にいるので、そんなことはできませんでした。しかし、年月と共に脳細胞の劣化は激しく(!)、なかなか頭に入りません。みたび本校へ帰ってきて、ここは揮毫式などの伝統行事もあり、保護者の前で話す機会も多く、プレッシャーもありましたが、歳と共に、図々しさも身に付き(笑)、壇上で話す際に緊張はしなくなりました。緊張はしなくなりましたが、同じくらい記憶もしなくなりました(笑)。今後はもう、こんなに覚えることもないし、最後だから何とか覚えようとしましたが、まぁ、言葉のチョイスも私のレベルですから、いつもと話しぶりも変わらず、時間がなかった割には、ほぼ言葉を飛ばすことなく、話せました。ここで思ったのは、最近は、教員でもAI依存症では?と心配になるくらい、何でもかんでも全てAIに文章を送ったり、問い合わせて、出てきた言葉を丸写しでは無いとは思いますが、自分の文章に取り入れる方がいますが、自分のチョイスしないような言葉でできた文章を覚えるのは大変だろうと思います。また、実際に経験しましたが、見せられた文章の語彙と、それを提出された人との話の中で語彙力にかなりの差を感じたことがありました。これはちょっと恥ずかしいですよね。自分の語彙力を高めたうえで、文章を練り上げ、それをAIに構成してもらえばブラッシュアップされていいとは思いますが。ビッグデータを元に構成するAIの文章は知らぬ間に、ハルシネーション(AIが事実に基づかない情報を生成すること)に気づかず、どこかで同じような文章が出回っているかも知れません。先日、東京の研究校で有名な附属小学校の4年生のAIを活用した授業が国営放送のニュースで流れていました。まず驚いたのが、教室の黒板側が、かつてCMで見た「未来の学校」のように、壁一面が真っ白のスクリーン(ホワイトボード?)になっており、そこに、2画面ほど、映像や写真が提示され、そこに小学生の等身大くらいのニックネームのついた生成AIの子供が登場し、語りかけたり、生徒の発言に質問したりしながら、授業の中身を深めていくのです。先生もその壁面(!)のあらゆる所へ、マジックで子供の意見を書き込んでいって、授業の流れが壁一面に描かれているのです。当然、子供の机にはタブレットが置かれています。しかし、AIの○○ちゃんの意見を参考に自分の考えを練り上げ、まとめる時は、必ずその感想や意見は手書きをさせる、という教員の言葉があり、それによって、子供たちの文章力や語彙力も向上する、という言葉にとても説得力がありました。この子供たちが、中学、高校、大学と成長したときに、どれくらいの思考・判断・表現力がつくのか、見てみたいとも思いました。それにしても同じ国立の教育大の附属学校でこんなに設備が違うの?と羨ましくもなりました。
最終回(!)だからって、無理にダラダラ書いているのではありませんが、かなりしつこいですね(笑)。前回か、前々回に本校の中3生(3月6日に卒業した生徒)の数名(もっと?)が、このページを読んでいる、ということが授業中の話題になったと授業者から聞いて、恥ずかしかった、と書いたと思いますが、私が辞めることを新聞で見て、雨の中、わざわざ来校してくれた高校生が、「ウチのクラスの附中出身者、あのページ読んでる人多くて話題になるんですよ」もう、最後の最後に聞いて良かったです(苦笑)。早くに聞いていたら、それこそ、AIに後はよろしく!って書いてもらっていたかも・・・。でもこんな振り幅の大きい、昭和の曲紹介が入るような、教員(校長)が書く内容なんて、さすがのビッグデータでも扱えない(扱わない!)でしょうし、アウトプットの需要がなさ過ぎる話題は、学習しないでしょうね。なんて、ウダウダ話はさておいて、人生最後の修了式での私の挨拶は次の通りでした。
令和7年度 修了式 令和8年3月24日
早いもので、この体育館で、第40回卒業証書授与式を行い、3年生を送り出してから、2週間余りが過ぎました。3年生がいなくなったことで、ずいぶんこの体育館が、ガランとしていますが、あと2週間もすると、今度は新入生が入学してきます。その頃には、2年生の皆さんは、最上級生、1年生の皆さんは、先輩と呼ばれる立場になるわけです。
今、皆さんにとって大事なことは、学年集会でもいろいろお話を聞いていると思いますが、この1年間を振り返り、それを来年度といっても、2週間後からどう生かしていくかということです。この1年間、学校行事を始め、いろいろな事があったと思いますが、どれだけ自分自身成長できましたか。テスト結果の成績表に書かれている順位だけでなく,人間としてどれだけ自分が成長できたかを確認してください。
この1年を振り返って、よく頑張ったと自分を褒められる人も多いと思いますが、私が一番気になるのは、友達にいやな思いをさせたり、それを知っていても見て見ぬふりをしたり、また、おもしろおかしく、仲間をいじっているつもりでも相手がいやがってもやめなかったりと、そういうことをしてしまった人はいませんか。敬和・奉仕の精神に生きる人間学校において、そういう行為をしたり、知ってて知らないふりをするような人は、附属中学校の校風にそぐいません。学年が変わるというのは、自分を見直して、新たなスタートを切る絶好の機会です。反省すべきことがある人は、大いに反省し、新学年になっていいスタートが切れるように心がけてください。今年度は人権教育の研究大会が11月にあったので、皆さんは人権の大切さについてよく学んでくれました。学んだことを実践できないようでは困ります。そして、間違った事をしている人がいたら、早く先生に知らせてください。附属中学校は、そのことで、仲間はずれになるようなことを許したり、正しいことをしている人を守れな学校や先生方の集団ではありません。正しい人は守られます。私は、23年前に附属中学校に来て、通算17年間、本校で務めさせてもらっていますが、最近気になるのは、少し附中生らしさを感じられない言動を聞くことです。皆さんは、希望して本校へ県下各地から来てくれています。それでいて、本校のルールにそぐわないことを繰り返すのは、おかしいですよね。附属中学校は、正しいことをしている人を守ります。学年が変わるというのは大きな節目です。2週間の春休み中に、もう一度じっくり自分を振り返ってみてください。
この後、皆さんは教室に帰って、担任の先生から通知表をもらいます。それを見て、学習面だけでなく、行動面の評価も見ながら、この1年間の自分の頑張りについて自問自答してみてください。私は、皆さん全員の通知表の所見を読ませてもらいました。読んでいて感心したのは、本当に担任の先生方は、皆さんのことをよく見てくれているなぁということです。皆さんのいいところをしっかり評価し、そしてこういう所を頑張れば更に向上しますよ、という思いが短い文章ではありますが、文面から伝わってきました。今年1年間、お世話になった担任の先生や、学年団の先生方に恩返しするには、来年度、皆さんが立派に成長することです。頑張ってください。
最後に、2週間前の卒業式。まだ皆さんの脳裏にも残っていると思います。1年生は、初めての中学校の卒業式、どうでしたか。小学校の呼びかけの卒業式も、小学生らしくて可愛いですが、中学校は雰囲気が違ったと思います。私は立場上、今まで何度も小学校の卒業式にも、高校の卒業式にも参列したことがあります。今年の本校の卒業式が終わってから、来賓の方々が、あの歌声には感動しました、と言ってくれました。かつて私が参列した、本校より遙かに生徒数の多い、○○高校よりも□□高校よりもりっぱな歌声でした。私は、最後に卒業生が歌ってくれた「あなたへ」の合唱が今でも耳から離れません。声量のみならず、出席順に座っているのに、見事な3部合唱になっていて、ソプラノの声も体育館全体に響き渡っていました。素晴らしかったですよね。そして、それだけでなく、校歌にしても、校歌を歌うのもこれで最後、という思いで、3年生は、予行演習の時からよく歌えていましたが、本当に素晴らしい歌声でした。そして、本番では、2番、3番と進むにつれ、2年生も1年生も、3年生に引っ張られて大きな声で歌えてきて、それがこの体育館全体に響き渡り、私も本当に感動しました。今まで、始業式や終業式をはじめ、年間に何度も校歌を歌う機会はありますが、あんな素晴らしい校歌を聴いたことはありません。皆さんは、あのような先輩がいたことを誇りに思うと共に、皆さんもそれぞれが、夢の実現に向けて、たゆまぬ努力を重ねながら、仲間を大切にして、あの先輩方を超える学年になってくれることを期待しています。そして、その集大成として、2年生は一年後、1年生は二年後の卒業式の最後に素晴らしい歌声をこの体育館に響かせてください。この後、校歌を歌いますよね。先輩の思いをどれくらい受け継いで頑張ろうという気持ちになっているか、是非聞かせてください。卒業式より130人近く生徒の数は少ないですが、是非皆さんの心意気を歌声で表現してください。
そして、4月9日には、この場所に新入生が入ってきます。1年前、2年前の入学式の緊張感を皆さんもまだ覚えていることと思います。このあと、歓迎式の歌の練習もあると思いますが、あの場面で入学生と初めて対面する先輩の皆さんが、圧倒的な歌声をこの体育館に響かせることにより、新入生や保護者を、いい学校に入学できてよかったなぁ、と安心させると共に、附中生ってすごいなぁ、と思わせてください。最初の印象が大事です。どーんと、これが附中生、というところをアピールしてほしいと思います。
今年1年間の皆さんの成長に感謝するとともに、更なる飛躍を期待して、令和7年度 私からの最後のお話とします。4月8日には、また元気にこの場所に集まってください。 終わります。
どれだけ、子供たちに響いたかはわかりませんが、話しながら、生徒の顔を見渡す余裕がありました。今まで、長い話を聞いてくれてありがとう。これで最後だからね。ということが、話しながら脳裏をかすめました。私が本校で教頭になって2年目、全国の附属学校で初めて、専任校長になった先生の夏休み前の、他校の1学期終業式にあたる、全校集会(最近はしていません)で、お話しされた事が忘れられません。専任校長というのは、附属学校は昔から、校長先生は大学の教授で、一般の学校の校長先生にあたる方は、副校長と呼ばれていました。今でも全国に260近くある附属学校園の半分以上が大学の先生が校長先生をしています。専任校長は、かつて本校での勤務経験のある他校と同じように校長格の先生が校長先生を務めるというもので、四国地区のみならず、中国四国地区でもいまだに、鳴教大附属以外は、副校長制です。(本校のようにすることで、副校長制の学校より、授業のできる先生が1名増える)その校長先生は、壇上にあがって、マイクの前に来ると、一言「命を大切に!以上」と言って降壇されたのです。一瞬の静けさの後、生徒から拍手が起こりました。伝える力!を実感しました。
修了式で上記内容について話した後の校歌、よかったですよ。私のすぐ前の2年生は、男子も女子もしっかり歌っていました。修了式が終わり、入学式(4月9日)の後にある新入生歓迎会で歌う、2年生、3年生の歌の練習がありました。そこで本校の音楽教諭が子供たちに話した、「新入生を迎え、歓迎するという気持ちを寄せて歌うことで、素敵なハーモニーが生まれます」というのも、伝える力を感じました。こういう場面ですぐに、「もっと大きな声を出せー」的な事を言ってきた教員(私の若い頃も)は、しっかりと理解してほしいものです。
この後、休憩を挟んで、いよいよ離任式です。子供たちに寄り添ってきた若い先生方が転退職側の椅子に移動すると、目を見開いてびっくりしている様子も見とれましたが、本校は伝統的に、こういう場面で、「えーっ!」とか「うっそー」なんて声を出す生徒はいません。しかし、壇上に上がって生徒を見ると、すでに下を向いて涙ぐんでいる生徒が何人もいました。もちろん私の方を見て泣いている人はいません(笑)。ここでは、私は、前座なので(!)短めのお話をしました。ただ、この場所で3回目の離任の挨拶!というところと、「附中LOVE」だけは 伝えようと思いました。つぎが、その時の挨拶です。
先ほど教頭先生が、私たちの紹介の冒頭で「別れのない出逢いはない」とおっしゃいましたが、その通りです。私が尊敬する、もう退官されましたが、鳴門教育大学の先生から、「別れるために強く出逢う」という言葉を教わりました。「別れるために強く出逢う」この強く、とはどういう意味なのかをAIに聞くのでなく、自分でよく考えて、今出逢っている、仲間や先生、多くの人との関係を大切にしてください。
私は、附属中学校に勤めさせていただいて、この場所でする離任の挨拶も3回目となりましたが、今回が最後です。私は、本当に附属中学校が大好きです。皆さんにとっては、ここが母校なのですから、もっともっと附中を好きになって愛校心を育ててください。そうすれば、附属中学校は更に発展し、県下の小学生にとって憧れの中学校になると思います。詳しくは、「そだち」(校誌)卒業記念特集号の巻頭言、ほとんどの人がまだ読んでいないと思うので、また時間があれば読んでください。
4月からは、ありがたいことに大学の学長先生が、それだけ附属中学校が好きなんだから、退職後も週に2日くらい来て、中庭の草刈りや校舎の修繕をしなさい、と言ってくださったので、喜んで来させてもらいます。ただ、こういう所から皆さんにお話しさせてもらうことは、もうありません。長い間、お世話になりました。そして、フチュッピーの部屋を飽きずに読んでくれた、一部の生徒のみなさん、ありがとう。あと一度、更新して3月末に終了します。お家に帰ったら、校長が、長い間お世話になりました、って言ってたよ、とお伝えください。皆さん、新しい学年でも頑張ってくださいね。ありがとうございました。
この後、この日の朝、転退職する先生方の名前を初めて教えてもらった生徒会長から、ご挨拶いただき、直前にプレゼンテーターを告げられた、それぞれの生徒に関係の深い生徒からお花をいただきました。私は生徒会長からいただきました。ありがとう。そして、体育館のセンターを生徒が花道を作ってくれて、その真ん中を両脇の子供たちの拍手と「附中の歌」に送られながら、正面に鳴門教育大学附属中学校の大校旗を眺めながら退場しました。本当にありがとうございます。私にとっては3度目の花道とはいえ、さすがに最後の最後となるので、感動もひとしおでした。ここで表題の曲です。私の最も好きなアーティスト。中学校の頃からのファンで、学生時代以降、最もよくコンサートにも出かけました。初めて行ったのは、徳島市文化センターがあった頃、「オフコースさよならコンサート」でした。今、小田さんは、私より15歳も年上で、現役です。是非もう一度、ステージを見たいです。「あなたに 会えて ほんとうによかった・・・」 この想いを附属中学校の生徒、教職員、全ての方々に捧げます。曲のタイトルは「言葉にできない」です。Bing 動画
先のフレーズが出てくるのは、曲が始まって、3分53秒くらいしてからです!そして、もう一曲(最後だから許してください)私の大好きな曲「今日もどかで」もよかったら、聴いて下さい。自分の人生を振り返ってみて、本当に多くの方々に助けてもらってばかりの人生でした。そして、悩み多き、中学生にこの歌詞を送りたいです。 https://www.bilibili.com/video/BV1d5411u7xt/?spm_id_from=888.80997.embed_other.whitelist&t=25.041739&bvid=BV1d5411u7xt
離任式の花道を花束を抱えて退場し、体育館に一礼をして職員室に転任される皆さんと共に帰ってきて、5分くらい経った頃でしょうか。生徒会長が職員室に来て、「先生方、もう一度体育館に来てください。校長先生は、少しゆっくり来てください」???呼ばれるままに体育館に戻ると、さっきの花道のまま、正面に一つ椅子が置いてあり、いきなり生徒会の役員さんが「ただいまより、校長先生の卒業式を始めます。校長先生、入場してください」から始まって、開式の言葉→卒業証書授与→生徒会長祝辞→校長答辞(一言お願いしますとマイクを向けられました)→みんなで校長先生の好きな「附中の歌」を歌いましょう→校長退場・・・という流れで、本当にサプライズな出来事で、感動以上に最初は驚きの連続で、じわじわと感動が押し寄せてきました。私の人生最高のサプライズをいただきました。このため、帰りの学活が遅れ、各担任の先生方もクラスの生徒との十分な最後の時間が取れなかったかもわかりません。ごめんなさい。生徒会長はこれを全て一人で考え、校長が退職でなかったら、手書きの卒業証書は捨てる予定だったとか。実は、昨年も計画していて、当日学校まで持って来てくれていて、使わなかったので、破って捨てた、と後から聞きました。そして、離任式で転退職教員が退場するまで、教員にも生徒会役員にも何も告げず、私たちが出て行ったあと、前に出て行って、ちょっと時間をください、と言って全校生徒に説明し、始めてくれたそうです。先生方も何も知らなかったので、学活が遅れたり、帰りの会での担任の最後の話の時間も十分取れなかったのではないかと思います。全ては、私が退職したのが悪いのです(苦笑)。ごめんなさい。 生徒会長が一人で考えた企画と、突然の申し出に、1年生、2年生全員が同調してくれた、彼女の心意気をご理解ください。私が対象でなければもっとよかったかも知れませんが・・。最後に歌ってくれた、私の大好きな「附中の歌」(校歌ができたのは、30年ほど前で、それまではこれが、本校の校歌代わりでした)そんなこんなで素晴らしい離任式&卒業式をしてもらい、私は幸せ者です。そして、こんな校長の暇つぶしのようなページを毎回お目通しいただきました皆様。今まで、学校関係者以外の皆様や、県外からいただくメール等に恐縮してきました。「こんなにグダグダ、次から次へとどーでもええこと書き続ける附属の校長って、よっぽど暇なん?」と私と面識がない方は思われていたと思いますが、そうなんです。生徒や教職員が素晴らしいので、校長の出る幕なんてなーんにも無く、波風が大きくなる前に、全て、平穏な状況に戻してくれて、学習活動や研究活動に打ち込めています。本当に素晴らしい子供たち、教職員に恵まれて、私は幸せでした。皆さん、そして附属中学校、ありがとう。そして、お元気で!『附属中学校は永久に不滅です!』
最後の最後の昭和の一曲です。Bing 動画
※ スミマセン。先日公開したばかりなのに、最後と言うことで、身に余るご感想やお言葉を、各方面からいただいておりまして、調子に乗って(最後まで)、最後の一曲を公開したばかりですが、もう1曲だけ、あと5日足らずですが、紹介させていただきます。これは今から半世紀近く前(1978年)に公開された映画の主題歌で、町田義人とうアーティストが歌って、そこそこヒットしたと思うのですが、当時高校1年生だった私は、ドーナツ盤のシングルレコード(当時、500円から600円に値上がりした頃)を買って、まだ自分のオーディオは持っていなくて、家の古い一体型のホームステレオで聴いていました。その後、何十年たっても、この歌詞を時に触れ、口ずさむほど、自分の中で浸透した歌詞とメロディなのです。今回もまさに、原稿とういうようなものではない、駄文をつれづれに書いている途中でも何度も脳裏をこの歌が流れるほど、気持ちとシチュエーションがマッチしていました。保護者の皆様でも、もちろんリアルタイムではご存じないだろうし、そんなに有名な曲ではないので、紹介しようかどうしようか迷ったのですが、幾人かの方々からお寄せいただいた感想を読んで、「あと数日だし、お許し頂けるかな」と、調子にのってしまいました。原曲の町田義人さんの声は、渋くて格好いいのですが、ボクはこちらのアーティスト(上記の曲と同じですが)の声質が大好きで、コンサートでもよくこの曲をお歌いになるようなので、選びました。映画の方では、まだ10代だったと思いますが、ヒロイン役でした。では、この曲に想いを込めて、このページを読んでくださった中学生も含め、全ての皆様に、心からお礼を申し上げ、終わりとします。 本当にありがとうございました。さようなら・・・。Bing 動画