校長室から

♪ ♪ さよならは 別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束 ♪♪ 2021年3月26日





    始まりがあれば必ず終わりはやってきます。今のコロナ禍もまだまだ予断は許しませんが,必ず終息する日は来るはずです。今から36年前に本校で教育実習を受けさせていただいた私は,今思えば,恥ずかしいような授業,そして生徒との語らい,あの頃の生徒にお詫びしたい気持ちでいっぱいです。でもあのときは失敗だらけの日々でしたが,教生の身でありながらも,子供たちから「先生,先生」と言ってもらい,「先生はね‥」等と有頂天で話していたのを思い出します。そして,この一ヶ月の実習で,教師の道へ進もうという思いが確固たるものになったのも覚えています。あの時ご指導いただいた先生(当時は教官と呼んでいました)は,本当にすごかったです。何がすごいかって,本当に何もかもです。授業はもちろんのこと,その準備の手際よさ,子供の注目を集めるワードの数々,他教科の先生方もその立ち振る舞いに圧倒されました。でも考えてみれば,その当時の指導教官は,概ね30代半ば~40歳くらいでした。(昭和30年初期のものから揃っている卒業アルバムで確認しました)それなのに,その先生方の倍近い年齢を重ねていても,あの頃の先生にはとても及ばないと思っています。附属中学校のことは,ここから50Kmも離れた県西部に住んでいた私でも小さい頃からよく聞いていました。私の母親が徳島市内の出身で,憧れがあったのか,よく「フチュー,フチュー」と言っていたのを覚えています。子供心に「田舎で魚釣りをしたり,自転車で走り回っている坊主頭の自分らとは別次元の人たちが集まっているんだろうなぁ」くらいに考えていました。そんな私が,無事教員になれて,3校目の勤務校(何といっても初任の1校目が9年,2校目も9年という,少し,いえ,大変変わった異動をしてきたため,異動経験も40歳にもなって,本校へ来るのが2回目だったのです。周りの同期採用の者からは,「何か不祥事を起こして,そのペナルティでは?」と真剣に思われていました。そもそも新任9年なんて,未だに県教委史上(?)例が無い,と教育委員会の先生に笑いながら言われたので,もっぱら同期の連中が言っていたことも当たっていたのかも‥<笑>)が本校となり,「附属中学校に勤めることになったよ」と親に伝えたら,いつも怒ってばかりいた,今は亡き母親が大変喜んだのが懐かしく思い出されます。そんな附属中学校に上述のように40歳にもなってやってきたのですが,毎日が驚きと発見の連続でした。自分が努力すればしただけ,子供たちが応えてくれるこんな感覚は初めての経験で,毎日が充実していたように思います。大学の先生や全国の先生方とも交流する機会が増えました。教頭職になっても,素晴らしい保護者の皆さんに支えられ,「附属で7年も教頭しよったん(してたの)?」とよく言われましたが,本当にあっという間に過ぎ去ったトータル11年間の前期(!)附属中学時代でした。その後半にこのホームページも制作会社の方(社長も当時の担当者も本校の卒業生)と何度も何度も意見交換をしながら,当時の校長先生のたっての希望である「読書」のページを工夫してデザインし,何とか今のホームページの原型ができあがりました。それまでのホームページはLinuxというOS上で動かしていて,更新するにもいろいろ知識が必要で,すべての先生方が気軽に触れるものではなかったため(フリーOS上での自作画面でしたので,費用はかかりませんでしたが‥)更新がどんどん遅れていました。今のトップ画面は基本的にそのとき作ったものを踏襲しています。スマホからでも更新可能で,先日の修学旅行でもギャラリーページ(閲覧は本校の生徒,保護者に限定)に写真をどんどんアップしてくれました。私は先生方によく「ホームページはナマモノです。鮮度が命です。どんどん更新しましょう!」と呼びかけています。そして,月に1度,ホームページを管理している会社(外部委託すると,セキュリティの面から自校管理より,はるかに安心度が増します)から,先月の閲覧数と昨年度との比較,各ページごとの閲覧数の順位とかが送られてきます。「鮮度が命」などと偉そうなことを言っていながら「校長室から」が一ヶ月に一度程度の更新では,恥ずかしい限りですが,意外なほど(!)多くの皆様に見ていただいていることに,集計表を見て驚くと共に感謝の気持ちでいっぱいです。ただ,「見ていただいている‥」と申しましたように,まさにここをクリックして開けていただいても,見た瞬間「ゲッ,何この文量!」と思ってすぐ閉じていただいても,訪問者「1」とカウントされるので,「読んで」くださっている方がどれくらいかは未知数です(笑)。そのホームページのレイアウトを教頭時代に考えた時,やはり最初のアイコンは「校長室から」と思ったものの,まさか将来,そこに自分が寄稿するなんて,夢にも思いませんでした。したがって,現実となった今も寄稿なんて言葉からイメージされる品位のある内容(!)ではなく,いつもグダグダな行き当たりばったりのとりとめもない文章になっているのは,今までお読みいただいているコアな読者(!)は,すでにご存じですよね。すみません,読者だなんて,最後だからって,調子に乗りました。各ページのアイコンの図柄も当時いろいろ考えて,もちろん今も変更は可能ですが,校長先生の言葉ということから,研究者の書斎のようなイメージにしたのですが,私の文章はまるで似つかわしくないので,列車かレコードかロボットのアイコンにしようかとも思ったのですが,「品格の附属中学校!」を校長自ら崩してしまうのは先輩諸氏に申し訳なく,次においでる校長先生にも迷惑がかかると思い,当初のままのアイコンにしています。
   さて(やっぱり長い,最終回だからって粘っている訳ではないのですが‥),11年本校で勤めた後,4年間ほど市内の中学校や教育委員会に勤務した後,再び帰ってくることができました。長年勤めたとはいえ,伝統の附属中学校の舵取りを任されることへの不安とプレッシャーはかなりものでした。下の3年前のバックナンバーを見たら,その時のことが鮮明に思い出されました。文量も今までの先輩方に比べれば,多いものの,今よりずっと常識の範囲でした。けっして,皆様,バックナンバーを見てくださいと申しているのではありません。そんなことすると益々私のこと,呆れられると思います(笑)。でも,素晴らしい歌(懐メロ)の歌詞のおかげで,本校関係者以外の方から「先月のあの歌,学生時代を思い出して感激したわぁ」などと言っていただくようになり「もっと頻繁に更新してよ」などとも。中には「今月の歌,ずばり予想が当たりました」などと,県外からメールをいただいたりして恥ずかしいやら,うれしいやら‥。でも冷静に考えると,本校の生徒,保護者に向けて意味のある発信をするはずが,逆に本校の保護者にすれば時代が古すぎて,段々見てくれる人が減っているのでは!,と思ってしまいます。ただ,学校評価アンケートの自由記述に,ある保護者が「校長室から,に出てくる曲,全部知っています!」と書いていただいており,感激しました。でも「こんな感想,学校評価に載せられませんよねぇ」という同僚のアドバイスに「御意にございます(笑)」。そんなこんなで(どんなこんななん?)私は,できることなら,本校で教員生活を終えたかったのですが,そういうわけにはなかなか大人の事情で(冗談です<笑>)無理だということで,このたび3月31日をもって本校を去ることとなりました。内示をもらってからも,修学旅行,高校の合格発表などがあり,あっという間に修了式,離任式があり,修了式の挨拶と,離任式の言葉の両方を考え,その文章を暗譜するには時間がまるで足りませんでした。でも不思議なもので,誰もが初めて経験する今の状況で,一斉休業や分散登校,行事の中止,延期等,本当に我慢を強いらせてしまい,よく辛抱して耐えてくれた生徒の顔を見ていると(今年度,最後の最後に初めて,1年生と2年生が体育館に入りました)自然と言葉がつながっていました。そして離任式では,私の挨拶よりも,短い期間ではあったものの,良きお兄さん的に関わってくれた若手の先生方の言葉を生徒は早く聞きたいだろうと思い,話を厳選したつもりですが,やっぱりウダウダになったかな?と反省しています。「私がいかに附属中が大好きか,しかし私と違って皆さんにとって附属中学校は母校なのだから,もっともっと母校愛を育んでください。そうすれば,もっともっといい学校,いい雰囲気の学校にするためにみんなが努力して,さわやかな挨拶が行き交い,思いやりの気持ちがあふれる,ぬくもりのある学校になっていくはずです。皆さんならできるし,そのためにもこの学校を大好きになってください」というような話をしました。最後は,体育館のセンターを送り出してくれました。私が生徒からいただいた花束を持って進んでいる(写真上段)正面には本校の大校旗を係の先生が掲げてくれていて,そこを通って会場を後にしました。流れていた校歌,声に出して歌えない分,懸命にしてくれた拍手の温かさは,一生忘れません。その後,附属3校園の挨拶回りに行ったのですが,附属幼稚園の先生方から,素敵なケーキをいただきました(写真2段目)。本校に帰ってきて,職員室で先生方に見せると,「わぁすごい!」「校長先生にてるー,若いけど(笑)」ここまではいいとして,「わぁ,切りたい,切りたい,切らせてぇぇ」‥「えっ!」こんな楽しい職員室を去るのは本当に寂しい限りです。後日,今度は長年本校で,書写のご指導をしていただいている先生から,写真3段目のような,素晴らしい「書」をいただきました。書いていただいている文字は私が本校伝統の揮毫式(昭和26年から一度も途絶えず続いている本校の新年の伝統行事で,校長がその年の言葉を決めることになっています,詳しくはバックナンバーをご参照ください)で私が校長として赴任した3年間に記した言葉を書いてくださいました。「万里一空」「清心事達」そして今年の「克己復礼」,それぞれに込めた思いは,揮毫式で私が挨拶した全文をバックナンバーに掲載しておりますので,よければ(よくない!)ご覧ください。書いてくださった先生は,徳島のケーブルテレビで毎週末の昼に流れている童謡や唱歌を流す番組の題字も担当されている高名な先生です。家宝にしまね。ありがとうございました,真紀先生♡ 。そして下段の写真は,私が心から愛する本校の公用車「フチュッピー号」(ダイハツミゼットⅡ,これでも二人乗り,先日車検取り立て!)と,私の25年落ち,32万Km走行のポンコツマイカーのツーショットです。お気づきでしょうか?(笑)この公用車を私は,毎月中古車雑誌や,インターネットで探しに探して,4ヶ月かかって見つけました。誰でも運転しやすいようにオートマチックでクーラー付き,そしたらナントETCまでついていました(笑)。一番のセールスポイントは,本校のスクールカラーである臙脂色(ワインレッド)であることです。これは純正色ではなく,前のオーナーが全塗装したものです。見つけたのは,湘南(神奈川県)の中古車屋さんだったので,たぶん前オーナーは,サーファーでこれにサーフボードを乗せていたのではないかと想像します。まるであのサザンの映画「稲村ジェーン」みたいですね!(最もあのミゼットは初代ミゼットですが。生徒諸君は知らないかな?挿入歌の「真夏の果実」は耳にしたことあると思いますが https://www.youtube.com/watch?v=1TjtR3K0QSM )。その車を売れてしまわないうちにと,中学時代の同級生で,数年前に独立して修理工場を開業した,私が初心者マークで乗った最初の少し車高の低い(笑)古ーいフェアレディZの時代から,40年近く車をお世話になっている友人に頼んで取り寄せてもらいました。それが届いたのが,平成31年4月,すでに「令和」という年号が発表されていました。私は,この月に登録された車はみんな「令和」をナンバーにつけようとするだろう。しかし,ご存じのようにナンバープレートで「0」は「・」と表記されるため,平成31年の「31」と「08」,すなわち「31-08」が大ヒットして,あの2000年の「20-00」のように抽選になるのではと思い,友人に「無くなってしまわないうちに,早く申請して!」と頼んだところ,いち早く陸運事務所に手続きに行ってくれました。そして窓口で「この番号,人気で抽選になるだろうからと,お客さんに頼まれたけど,まだイケルで(大丈夫)?」と聞いてもらったところ,窓口のおばさんが,「はぁ?これどういう意味?だぁれもこんな番号申請に来とらんでよ(来てないよ)」と言われたとのことでした(笑)。その結果,最初となる「あ」でした(ラッキー!)その大好きなフチュッピー号と附属中学校の思いをいつまでも心に留めておくために,私の車のナンバープレートをフチュッピー号と同じ「31-08」に変更したのです。この話を離任式の壇上で最後に話すと,生徒は神妙に聞いてくれていたのに,壁際に座っている先生方が,一斉に笑いをこらえて下を向くのが目に入りました(笑)。こんな職員,生徒のいる学校でもう少し勤めたかったのが本音です。
さて,(まだぁ?)最後だからって,終わらないわけではありません(笑)。最後に表題の曲です。職員の前でこの曲をかけた時「???」「聞いたことある」「薬師丸なんとか」「セーラー服の歌?」そらそうですよね。薬師丸ひろ子の映画主演デビュー作の主題歌となった映画と同名の「セーラー服と機関銃」で,今から40年前の大ヒット曲ですからね。私はこの薬師丸ひろ子の伸びやかな「鈴の音色のよう」と称された声がとっても好きでした。今も大河ドラマとかに出ていて,紅白でも数年前歌声を披露しましたが,相変わらず伸びやかな声ですね。https://www.youtube.com/watch?v=7pYbqTvDNE4 この声の歌も,もちろん好きなのですが,この曲は珍しい,「同曲異名」で作曲者の来生たかお(作詞は姉の来生えつこ)が歌う「夢の途中」もよく聴いていました。
https://www.youtube.com/watch?v=ZleEpn909M4     まさに,「さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束」です。そして,私もまだまだ「夢の途中」ですので,附属中で学んだことを糧にして一歩一歩,残された人生を歩んで参ります。
   本当に皆さん,長い間お世話になりました。これからは附属中学校の一応援団として,ご活躍を見守らせていただきます。また,次の任地で「附属から来た校長はダメだな!」と言われないように頑張ることが,お世話になった本校,そして生徒や保護者,教職員はじめ皆様への恩返しになると思って努力していきます。本当にありがとうございました。こんな駄文を今まで読んでいただき,感謝申し上げます。      「附属中学校は永久に不滅です!」



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