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東日本大震災の「3.11」から9年が過ぎました。令和になって初めての3月11日ですが,いつものように校門に朝から半旗を掲げました(写真上) 9年前,この日は本校の卒業式で,卒業生も式後,校門前等での記念撮影も終え,先生方との語らいも終えて,全員が学び舎を後にし,昼食を終えた在校生は,部活動に励んでいました。教頭だった私も昼食を終え,卒業式の後片付けもひと段落し,職員室でホッとしていた時に,事務室から,「先生,さっき大きな地震が東北であって,その後大変なことになっているでよ,テレビ付けてみて」と連絡があり,職員室のテレビをつけた瞬間,画面には津波で流されている車や家が映っていて言葉を失いました。その後すぐに「大津波警報」が発令され,速やかに生徒を帰宅させるようにとの指示があったのが,本当に昨日のことのように思い出されます。本校では,私が顧問をしていた技術部で,150台の「手回し発電機付きラジオ」を製作し現地へ送りました。これは携帯電話に電池が無くても充電でき大変重宝されました。(乾電池は,徳島でも昨今のトイレットペーパーやティッシュペーパーのごとく買い占められて,店頭から一時無くなってしまったことを保護者の皆様も御記憶だと思います。)教材メーカーが,現地で役立つから寄付したいのだが,全てキットになっているので,春休みを前に全国の学校はどこも授業が終わってしまっていて,製作してくれる学校や生徒がいない,と文科省へ連絡があり,本校なら部活動として,技術部があるので可能では?と,紹介していただき,卒業したばかりのOBもかけつけて3日間で完成させました。現地で使ってくれている様子や,その後4月になってお礼状をいただいたり(写真中)しました。(当時,地元新聞や翌年の内閣府発行の白書にもそのことが掲載されました)その大震災の起こった年に中学1年生だった生徒が2年後,卒業式を迎えたときに,校誌「そだち 卒業記念号」に私が寄稿した,「卒業生に送る言葉」を掲載します。
『諦めない限り有効』
まもなく卒業式を迎えるみなさんが,附属中学校で初めて卒業式に参加したあの日,1年生だったみなさんは,午後から部活動をしていた人も多かったのではないでしょうか。聞き慣れない「大津波警報」が徳島県沿岸にも出ているからと,練習を切り上げて帰宅したこともまだ記憶に新しいことでしょう。あれから2年が過ぎました。震災直後から,募金活動をしたり,手回しラジオを製作してメッセージカードを添えて,被災地へ送りましたね。未曾有の被害を受けた東北は,少しずつ,復興はしているものの,まだまだ大変な状況に変わりはないようです。たった2年しかたっていないのに,被災地から遠く離れている私たちの思いは,テレビでCMの代わりに「AC」の放送ばかりが繰り返し流れていた,あの頃と変わっていないでしょうか。誰もが現地に行って,復興のお手伝いができるわけではありません。自分たちにできることを考え,常に被災地のことを忘れない気持ちを大切にしたいものです。
岩手県に,太平洋沿岸部を走る「三陸鉄道」という,日本で最初の第3セクターとして運用を始めた鉄道会社があります。私は開通した年に,南リアス線まで完乗し,リアス式海岸の美しさと,その向こうに広がる太平洋の雄大さを車窓から眺め,感動したことを覚えています。この三陸鉄道も今回の大震災で,線路も鉄橋も駅舎も,そのほとんどが流されてしまいました。1年が過ぎて,懸命の復旧作業の末,北リアス線が開通しました。(南リアス線が復旧し,全線が開通するには,まだ1年以上かかるそうです。)その再建への思いを込めて,昨年,釜石駅で記念切符が発売されました。行き先は「復興未来ゆき」となっています。そして,その下の普通の切符には「発売当日1回限り有効」と,記載されているところに「諦めない限り有効」と書かれています。(写真下)
これから先,東日本大震災の映像を見る度に,皆さんは,当時の附属中学校での生活が一緒によみがえってくることでしょう。東北への思いを忘れることなく,共に大きく成長してもらいたいです。みなさんの抱く夢も,どんな困難に出会ったとしても「諦めない限り有効」です。卒業おめでとう。
※この年に本校を卒業した人たちは,今年22歳。多くの人たちが大学での卒業式が中止になったことと思いますが,自分の進む道に向かって,決して何があっても「諦めない」で,頑張ってもらいたいものです。